吉備寺

吉備真備公の出自である下道氏一族の氏寺として建立されましたが、創建当時の伽藍は焼失しています。心礎および礎石が、現在の吉備寺の庭石として姿を残すのみとなっています。また、この地で出土した「蓮華文鬼瓦、四葉蓮華文鐙瓦、花枝文宇瓦」は、岡山県立博物館に寄託されています。  元禄の初め頃、時の岡田藩主伊藤長貞公の「郷土の偉人を長く顕彰するように」という命により、「吉備寺」という名をいただきました。  寺の南側の山には、「吉備さま」と呼ばれて地元で親しまれている霊廟があり、吉備真備公の墓所であると伝えられています。学問の神様として信仰を集めており、毎年1月第2日曜日に合格祈願祭、8月第3土曜日に夏祭りを行っています。  寺の周囲に「まきび公園」があり、春の新緑や秋の紅葉の季節には、たくさんの人が訪れます。

住所

倉敷市真備町箭田3650

電話番号

086-698-0154

同じカテゴリのスポット

足高神社

歴史・旧跡|倉敷エリア
現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに記載されており、備中18社の1に数える最古社である。 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。(岡山県神社庁より抜粋)
  • もっと見る

同じエリアのスポット