新渓園

明治26年、倉敷紡績の初代社長大原孝四郎氏の別荘として建設されたもので、和風建築として高く評価されました。 その後、広く一般に開放されて、市民の憩いの場として親しまれてきました。 現在は「敬倹堂(ケイケンドウ)」、本格的な茶室を備えた「游心亭(ユウシンテイ)」があり、広く市民に開放され、茶会の名所にもなっています。

住所

倉敷市中央1-1-20

電話番号

086-422-0338

開館時間

9時00分~17時00分

休業日

年末年始(12月29日~1月3日)

利用料金

見学無料(貸館については有料)

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足高神社
歴史・旧跡|倉敷エリア
現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに記載されており、備中18社の1に数える最古社である。 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。(岡山県神社庁より抜粋)
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