幕末の備中松山藩において、藩政改革を成し遂げた山田方谷の実績について、「儒学者への道」「備中松山藩の藩政改革」「教育への情熱」の3つのテーマに分けて、歴史資料や解説パネルにより、分かりやすく展示・紹介している。
URL:https://www.city.takahashi.lg.jp/site/yamada-hokoku-museum/
現存天守を持つ唯一の山城で、国指定重要文化財。戦国時代は激しい争奪戦が繰り返されてきた城で、高さ10m以上の巨大な岩壁がそびえ、兵士が苦戦した「難攻不落の名城」の面影を残す。
URL:https://www.city.takahashi.lg.jp/soshiki/9/shiro4240131.html
備中松山藩主が日常を過ごした居館であり、藩の政務を行う役所。山頂にある城は「山城」、御根小屋は「お城」と呼ばれた。平時はこの御殿で政治が行われ、登城はこちらに出仕することを指した。御殿は明治6(1873)年の廃城令により解体撤去されたが、山城は運搬費用が高くつくため解体を免れた。現在その跡地には岡山県立高梁高等学校が建てられており、総延長800mを超える石垣と御殿の中庭は、当時の面影をよくとどめている。
備中松山城の大手道でもあった「松山往来」と呼ばれた街道筋にあり、商売の中心地として栄えた。通り沿いには建物の棟が道路に並行した平入りの古い商家が立ち並び、一角は映画『男はつらいよ』のロケ地としても使われた。かつて商家資料館として公開されていた池上邸は、享保年間の頃この地で小間物屋を始め、その後、両替商や高瀬舟の船主などを経て醤油造りで成功した豪商の家。現在は休憩所として無料で開放されている。
和の風情漂う落ち着いた雰囲気の店内でいただけるのは、北海道産と信州産のそば粉による手打ち十割そば。ほどよいコシの強さと、つるつるとした喉ごしのよさが特徴。そばの風味がしっかりと感じられ、辛み大根を加えたそばつゆによって、さらに甘みが引き立つ。瀬戸の藻塩で食べる奥出雲産の舞茸のてんぷらや、高梁の地酒を一緒に味わいたい。
城下町の中でも石火矢町は武家の町で、白壁の土壁に立派な門構えの武家屋敷が約250mに渡って立ち並んでいる。現在では「石火矢町ふるさと村」として岡山県の指定を受けて保存されている。公開されている旧埴原家は、江戸時代中期から後期にかけて備中松山藩の番頭役を勤めた武士の家。寺院や数寄屋風の建築様式を取り入れた、城下の武家屋敷としては珍しい造りになっている。山田方谷資料室もあり、方谷ゆかりの品を見ることができる。
足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺のひとつ。その中にある国指定名勝の庭園は、備中国奉行・小堀遠州が作庭した禅院式枯山水蓬莱庭園だ。季節で姿を変える美しい景観を楽しんで。
徒歩約10分