仲買町

備中松山藩主水谷氏が玉島港を開いた折り、仲買人たちが店を構えたのがはじまりといわれる仲買町。商人や職人が暮らした町で、風情あるレトロな造り酒屋や紙屋、味噌醤油屋など江戸時代からの商いが今も続いています。大正浪漫を伝える「看板建築」なども数多く、レトロ好き、建物好きには興味は尽きません。円通寺から見下ろすと、ひと続きの長屋のように見える町並みが美しく、ものづくりや商いの風景を体感できます。

住所

倉敷市倉敷市玉島阿賀崎

電話番号

086-526-8446(新倉敷駅観光案内所)
086-522-8114(倉敷市玉島支所産業課)

アクセス

JR新倉敷駅から車で約10分

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足高神社
歴史・旧跡|倉敷エリア
現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに記載されており、備中18社の1に数える最古社である。 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。(岡山県神社庁より抜粋)
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