古代吉備国の中心地域とされる総社市は、岡山県の中南部に位置。高梁川からの肥沃な土砂は弥生時代には広い農地を形成していました。古い文献では720年代には高梁川に堰があったと記されているとのこと。伏流水や用水は人々の生活を豊かにしていました。平安時代には総社市の地名の由来にもなった「備中国総社」が置かれます。総社のまちが大きく繁栄をみせるのは元禄年間(1688~1704)以降で、松山往来が街道として成立した頃になります。人の行き来や物流が盛んになり、商人や産物が集まり、形成されたのが総社商店街筋です。これは総社駅から東に延びる商店街筋が川と川に挟まれた微高地であり、人々は災害が少なく安全な場所に集まったのです。地域を活性化する経済の町として栄える一方で、総社宮の門前町、さらには街道の宿場町、浅尾藩の陣屋町の顔を持ち、東西1.9㎞続く商店街筋は江戸時代をメインに、悠久の歴史に思いをはせながら歩ける貴重な存在です。
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総社市まちかど郷土館
1910(明治43)年に総社警察署として建てられた、市内唯一の明治洋風建築です。下見板張りの壁、多角形の楼閣風入り口などが特徴のモダンな建物は、昭和63年8月に総社まちかど郷土館として開館。観光施設の役割も果たしています。1階に総社市の歩みを紹介する「歴史コーナー」を設置。総社商店街筋の成り立ちも解説しています。2階は江戸時代から昭和50年代初めまで栄えていた総社の伝統産業「備中売薬」「阿曽の鋳物」「イ草」に関する多彩な道具類や資料を展示。懐かしくも斬新な配置薬の袋デザインは薬学生らの関心の的になっています。
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旧堀和平邸
築180年の町家は、郷土が誇る文化人で岡山県洋画界の先駆者の生家。間口の狭さ、奥行きの深さが特徴で、店の間や居間、庭は昔のままで、通り土間のみを改造。「総社商店街筋の古民家を活用する会」の活動拠点として公開しています。庭に面した部屋では「つながるカフェ『線』」をオープン。さまざまな飲食店のオーナーによるドリンクやフードなどが日替わりで楽しめます。懐かしさ漂う古民家の風情に浸り、庭を愛でながら、くつろぎのひとときを。また、手作り雑貨から伝統工芸品までを手軽に楽しめる「151ギャラリー」も併設しています。
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備中売薬
医師や病院、薬局も少なかった時代、多くの家庭に配置売薬がありました。配置人が家庭を回り、一定量の常備薬を預けておき、再び訪ねた時に消費分を補充し、代金を精算するシステムです。配置売薬は江戸時代に起源をもつ総社の伝統産業の一つで、昭和50年代まで薬の町として発展。製薬・置薬ともに盛んで備中売薬の名で知られていました。合理的な配置売薬は人々の暮らしに浸透し、明治時代に産業として成立。「犀角湯」や「たこ薬」を看板薬に、四国や九州まで活動範囲を広げていました。総社市役所の一角には「備中売薬の記念碑」が立ち、総社市まちかど郷土館では明治時代の薬袋などを展示し、詳しく紹介しています。
お話をうかがった
総社市まちかど郷土館
館長 浅野 智英さん
備中国 総社宮
創建年は不明ですが、平安時代に創建されている全国でも有数の規模を誇る神社。100mも続く回廊、岡山後楽園の基になったとされる「心」の形に造られた三島式庭園が特徴です。拝殿には円山応挙、大原呑舟らによる絵馬が奉納されており、毎年10月第3土・日曜日に執り行う古例祭・秋祭では、324社に神饌をお供えする古式ゆかしい神事が見られます。
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