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街ぶら散歩道 真鍋島で癒しの街歩き

笠岡市の沖合約18㎞に位置する真鍋島は、瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島の一つ。平安時代の歌人、西行法師による歌集「山家集」に登場する由緒ある歴史の島です。真鍋水軍の本拠地だったことでも知られており、周囲7.6㎞の島の東部に「城山」の名が付く中世の城跡が2箇所に残ります。東端の「しろやま」は島の最高峰(標高127m)で、瀬戸内海を360度一望できる展望台。その南西の「じょうやま(じゃーま)」は山頂の周囲を石垣が巡ります。他にも真鍋氏代々の墓「五輪石塔群」、源平合戦の供養塔「まるどうさま」など、真鍋氏の名残が散在。また、島内の遊歩道沿いには真鍋島八十八ケ所札所と真鍋島新西国三十三観音霊場の石仏をあちらこちらで見ることができます。岡山県で唯一、島にある「ふるさと村」の指定を受けているのも真鍋島の魅力。漁村の古い町並みや景観が残り、映画のロケ地にも利用されています。伝統行事も多く、5月上旬の「走り御輿」は多くの観光客でにぎわいます。

街ぶらポイント

  • 住宅街の道、石仏

    笠岡諸島の中で最もロケ地などに使われる真鍋島は、2つの集落で構成されています。石垣が残る急斜面に広がる岩坪集落は中世真鍋氏の本拠地。その代々の墓と伝わる五輪石塔群では、平安時代末期から室町時代までの各時代のご印塔が見られます。江戸時代になり、真鍋氏の本拠地が本浦集落へ。現在、真鍋家住宅として公開する辺りに移ります。共通の見どころは迷路のように入り組んだ細い道で、クランクや湾曲していて先が見通せない、きれいな十字路を形成していない造りです。一説には、中世の防御的な集落の町割りの跡と言われています。

  • 真鍋中学校

    フランスのイラストレーターが描いた本に登場したことでますます有名になっている、真鍋島のシンボル的存在の建造物です。1949(昭和24)年に完成した現役の校舎で、3.2mの石垣の上に建つ木造2階建て。船大工さんが建設に携わり、廊下の梁には造船の技術が施されているとのことです。床は松板、腰板縦張り、壁は漆喰、天井は板張りという、今ではめったに見かけない懐かしさを感じさせる校舎では、全校生徒3名が学んでいます(2019年3月現在)。1階のみ平日限定で見学可能です。希望の場合は必ず職員室の先生に声をかけてください。

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    真鍋中学校の裏手、校舎の右側から延びる急な坂道を登るとある、港から一番近い絶景スポット「真鍋中展望台」からの眺めは格別です。
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  • 真鍋家住宅とホルトノキ

    その昔、真鍋島を治めていた真鍋氏の末裔が所有する邸宅の中庭を見学することができます。1870(明治3)年築の主屋は国の登録有形文化財です。庭に息づく推定樹齢約300年のホルトノキは高さ約15m、幹の周囲約2.4m。ホルトとはポルトガルの意味で、かつて果実の形がオリーブに似ているために誤認され、名付けたといわれています。熱帯・亜熱帯の常緑高木で、暖かい海岸沿いに自生し、夏には小さな花をつけます。家伝では宝暦年間(1751~1764)に平賀源内によって讃岐に苗木を持ち込まれたものが、真鍋家に伝えられたとされています。いずれにしても県内では珍しい樹木です。

スクープ!地元民だけが知る未開拓話。

モトエカフェ

2017年4月、本浦港近くにカフェ・ゲストハウスがお目見えしました。オーナーは2007年に関西から移住して来た近藤さんご夫妻です。真鍋島へ下見に来た際、島の方たちに親代わりのような親しみを抱いたとのこと。近藤さんは、このままではインフラが失われていくような現象が起きるのではと危機感をいだき、脱サラ。移住促進を図るために、「移住者先輩の話が聞けるカフェ」としてモトエをオープンしました。島の朝昼晩の顔を見てもらいたいからと、一人で気軽に泊まれるゲストハウスも併設。興味がある方は近藤さん一家の経験談を聞きに、カフェにおじゃましてみては。

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手作りメニューでもてなすカフェ

お話をうかがった モトエカフェオーナー
近藤さんご夫妻

島宿 三虎

1966(昭和41)年、旧真鍋小学校の校舎を移築して始めた島宿。朝、漁師さんから届く素材が一番いきる方法で作る料理、素晴らしいロケーション、潮湯露天風呂、貝殻拾い、波音、星空など、三虎ならではの異空間に魅せられたリピーターが10年、15年と通ってくるそうです。海観光の拠点にぴったりで、昼食のみの利用も可能(予約制)。

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街ぶらマップ