• 高梁川流域観光
  • 倉敷観光WEB

街ぶら散歩道 鴨方往来に残る、古き良き日本を楽しむ

岡山藩の支藩、鴨方藩の中心として栄えた浅口市鴨方町。岡山藩六官道の一つとして、鴨方往来が整備されました。現在のかもがた町家公園の南側の道路で、当時の道が整備されず、車が通れないような細い道も残っています。終着の備後福山藩大門へ行く途中の浅口や笠岡では、「備中浜海道」と呼ばれ、かつての海岸線だったことを物語っています。また、鴨方の「方」が「潟」と表記されていたことも同様で、江戸時代の新田開発で界隈は陸地化しました。北と南に山が連なり、水量・水質にも恵まれ、素麺や日本酒の生産が盛んだったことも特徴です。鴨方町を中心に手延べ方式で生産する素麺やひやむぎといった麺を「備中手延べ麺」の名でブランド化。なかでもかけ巻・小引き・門干しの伝統製法で作られる手延べうどんは、のど越しの良さともっちり感が独特で、生産額は全国1位を誇ります。酒造りに最適な水と米に恵まれて酒造業も活発。現在は2つの蔵元が醸造拠点を置いています。

街ぶらポイント

  • かもがた町家公園

    鴨神社の参道下に広がる「日本の歴史公園100選」の一つ。地元住民85名(2019年3月現在)によるボランティアが運営を担う、全国でも例が少ない観光スポットです。約2千坪の園内に多彩な施設が並びます。メインの伝承館は江戸時代に建てられ、1687(貞享4)年に修理した記録が残る旧高戸家の本家主屋。県下最古の江戸時代の町家として当時の建築技術を公開する建物博物館で、襖絵も必見です。交流館は1748(延享5)年築の分家の主屋。和風喫茶、土産物の販売コーナーなどを設けます。伝統植物園では万葉の昔から人々が親しんできた草木類が観賞できます。

    詳しくはこちら
  • 鴨神社 宮の石橋

    約千年前、平安時代初期の創建と伝わる鴨神社。参道の途中、随神門近くに小さな石橋が架かっています。古くから里謡で鴨方三奇として「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・索我・宮の石橋」とうたわれた石橋のことです。橋の下は水路ではなく、東西を行き来する地元の人の道でした。江戸時代に整備された鴨方往来と参道を結ぶための策として、道を立体交差させた先人の知恵に驚かされます。また、石橋の造りにも工夫が凝らされています。長い板状の石を6枚、アーチ状に削り出し、地震の際の横ずれに耐える構造を取り入れているとのこと。江戸時代の橋梁技術の高さが垣間見えます。

  • 鴨山城跡

    室町時代初期の築城と伝わる、備中守護職 細川氏の居城跡を鴨山(標高167.7m)山頂付近に見ることができます。連郭式山城で曲輪、堀切、石積などの遺構が点在。山頂へは、麓の長川寺から徒歩で登るトレッキングコース(所要約20分)と、北側の尾根沿いに整備された道路を車で向かい、駐車場から徒歩数分で本丸に着く2ルートがあります。自然の岩に仏像を彫った磨崖仏が見られるのは前者で、鴨山城跡周辺に大小6つほど造立します。また、道沿いに小さな石仏が寺名とともに並び、西国三十三ケ所観音霊場めぐりもできます。

    鴨山山頂付近は絶好のビューポイント。山陽自動車道を走る車がまるで天空へ向かうように錯覚する眺めは格別です。
    CLICK HERE

スクープ!地元民だけが知る未開拓話。

備中杜氏

江戸時代末期から酒造業が盛んな浅口市鴨方町。多い時は20もの蔵元があったそうです。酒造りを支えたのは農業や漁業に従事する人々で、閑散期の副業でした。次第に酒造技術者を目指す人が増え、人材育成の土壌も整っており、酒造りの現場最高責任者、杜氏を輩出。1899(明治32)年に備中杜氏組合を設立し、最盛期は会員数540名に及びます。各地へ出稼ぎ、高く評価され、備中杜氏は全国で一大勢力を誇っていました。備中杜氏組合に所属する杜氏数は2019年現在26名。勉強会を重ね、1909(明治42)年から始めた備中杜氏自醸清酒品評会も100回を迎えました。より良い日本酒造りを目指す備中杜氏たちの、さらなる活躍が楽しみです。

詳しくはこちら
木桶に仕込む雄町米の純米吟醸酒

お話をうかがった 平喜酒造株式会社
取締役 製造部長
原 潔巳さん

It's a Beautiful day

浅口市鴨方町を拠点にジーンズ洗い加工業を展開する企業が、デニム素材の素晴らしさを身近なアイテムで提案。使い込むほどに味わいが増す、愛着の出る物作りを目指しています。コースターからバッグ、エプロン、ソファまで、豊富なバリエーションと日本製の品質の高さが特徴です。オールラウンダーなデニム素材なのでプレゼント選びにおすすめ。

詳しくはこちら

街ぶらマップ