猪木畳店

玉島エリア|大正時代の創業

伝統の技を守り続けて

畳工事一式・裏返し・表替・新畳(フチなし畳・カラー畳・インテリア畳等)い草アイスクリーム(1個500円)の販売もおこなっています。

畳一筋 創業者織田庄太郎

 大正6年(1917年)初代織田庄太郎氏が、玉島の畳屋で修業を終えた後、妻の実家の猪木家において「猪木畳店」として畳屋を創業。当初は、畳床から縁縫いまでの工程をすべて手作業でおこなっており、一針一針丁寧に仕事をこなしていた庄太郎氏は、その真面目で実直な仕事ぶりが評判となり、地元でも信頼される畳屋としてお得意先との信頼関係を築いていきました。
 そんな庄太郎氏にある日突然転機が訪れます。大正12年(1923年)に関東地方を襲った関東大震災、多くの家屋が倒壊してしまい、復興のため、庄太郎氏も家族を残したまま遥々東京へ仲間とともに向い、現地で畳を作り続け、復興の一役を担ったそうです。その後帰郷した庄太郎氏は、息子喜三郎氏に代を変わる昭和40年ごろまで現役の畳職人としてその人生を畳一筋に捧げたのです。

伝統の職人の技を受け継ぎ

 昭和40年代、高度成長期とともに2代目織田喜三郎氏が代を引き継ぐと、世の中も次第に洋風の建築が進み、和室の数が減少していきます。そんな中、安価な外国産の畳が普及し始めますが、喜三郎氏は、国産の畳床、畳表にこだわり続けます。その結果、受注数は減少してしまいますが、古くから付き合いのある地元の得意客は、その喜三郎氏の良い物を勧めてくれる人柄に信頼を寄せて今までと変わらずに仕事を依頼してくれました。そんな喜三郎氏は、仕事に対してとても厳しく妥協を許さない性格で、息子に対しても「自分で考え、すべて自分の目で見て覚えろ」と教育を行ない、そんな父の姿を見て育った現在社長の3代目織田勝年氏は、その伝統の職人の技を受け継ぎ、機械化が進んだ現在でも、床の間用の畳を手作業で作るなど、昔ながらの伝統の技を守り続けていこうと日々努力を重ねています。

被災地釜石市へ畳を寄贈

 3代目勝年氏も祖父と同じく、東日本大震災で壊滅的な被害を受け、仮設住宅での暮らしを余儀なくされている岩手県釜石市にある根浜地区の住民に利用して貰おうと、平成24年(2012年)、岡山県内の畳店の協力を得て150枚以上の畳を集め、根浜地区に贈りました。後日、被災者の方からお礼の連絡を頂いた際、「畳の上で寝ると、とても暖かくてありがたいです。」という言葉が、3代目勝年氏にはとても印象的であり、逆に感激されたそうです。

所在地

〒713-8102 倉敷市玉島2-4-26

電話番号

086-522-3592

代表者

織田勝年(代表取締役)

創業

大正6年(1917年)