瀬戸内工業 株式会社

児島エリア|大正時代の創業

社会基盤に不可欠な骨材資源

砕石業・産業廃棄物中間処理業

川砂利を起源に歩んできた砕石業

 由伽山に程近い児島の尾原という地名の、携帯電話の電波が入らないほどの山の中。「茶屋住宅入口」の交差点から山へ山へと向かっていくと、「瀬戸内工業株式会社」があります。事務所の奥には、砕石プラントや重機など砕石には欠かせない設備があり、それを囲むようにして岩肌がむき出した山をみることができます。ここが、瀬戸内工業株式会社の砕石工場・本社です。
 会社の歴史は大正10年(1921年)にさかのぼります。初代・小野吉助(おのきちすけ)が高梁川の砂利採集・販売と建設業を取り扱う「小野組建設」として創業したのがはじまりです。その後、昭和12年(1937年)に小野正夫が2代目として引き継ぎ、昭和41年(1966年)に小野建材株式会社、小野建設株式会社、瀬戸内作業建設株式会社、瀬戸内工業株式会社、の4つの会社に分社化されました。さらに昭和46年(1971年)、小野正晃が3代目として就任し、翌々年昭和48年(1973年)には、旧建設省の方針により、川砂利採集禁止となったのに伴い、尾原の地に砕石工場を開設し、新しい事業として現在の主な事業である砕石業と産業廃棄物中間処理業をスタートさせ、今に至ります。

危険と隣り合わせの砕石の現場

 「さいせき」と聞いて私たちは、「採石」とイメージすることが多いかもしれませんが、「石を砕く」という意味の「砕石」は日本のインフラを支えている原料になります。例えば、コンクリートの原料、道路(路盤材)の原料、埋め立て地の下地など、現代社会でくらしている私たちに欠かせない資材であり、「骨材」と呼ばれています。
 
 どのようにして砕石は行われるのでしょうか。
 まず、山から石を掘り出しますが、パワーショベルで掘る、もしくはダイナマイトで発破して採掘します。その後、砕石プラントへ運ばれます。砕石プラントとは、運ばれた石を破砕機という機械で複数回砕き、角ばった石の角を取り、大きなふるいにかけられ所定のサイズに分別する生産設備です。砕石製品にもJIS規格があり、この規格を満たす骨材を製造するのも砕石プラントです。石の種類として15mm、20mm、15mmと20mmの混合品があり、また砂としては粗めの砂、細めの砂など、その他多岐にわたる製品群があります。
 
 ダイナマイトの使用はもちろんのこと、山を削る作業は熟練した職人によって進められています。一歩間違えれば、山が崩れてきたり、事故を引き起こすため、気を引き締めて作業をされています。

「大切に使ってほしい」、
現代の生活に欠かせない存在である骨材

 砕石業の他、瀬戸内工業株式会社では、産業廃棄物中間処理を行っており、廃材となったアスファルトやコンクリートを再度利用できるように、リサイクル業務を行っています。建設・解体工事などで出てくる廃材も、リサイクルプラントという設備で処理され、再生骨材として市場に供給されます。
 平成14年(2002年)から4代目代表取締役・小野正浩が就任し、「安全・丁寧・効率良く」をモットーに、現代のくらしの中で欠かせないインフラの原料となる骨材を生産しています。
「大切に使ってほしい」という思いのもと、厳しい現場で仕事に邁進している姿は、老舗の誇りを感じます。
(2019.11更新)

所在地

〒710-0144 倉敷市尾原2420-1

電話番号

086-485-2255

代表者

小野正浩

創業

大正10年(1921年)

従業員数

10