有限会社 川豊酒店

水島エリア|明治時代の創業

地域に根ざした酒小売店

酒・たばこ・日用品雑貨等小売販売業

歴史ある港町 呼松町

 倉敷市呼松町は、水島コンビナートの北側に位置し、海に面した土地で漁業の町として知られ、多くの商店が建ち並び、漁村・商業地として栄えた港町です。現在は旧海岸沿いを南北に貫く道が通り、細い路地沿いや傾斜地に家屋が建ち並んでおり、現在もその風情ある町並は残されています。また、伝統的な文化行事「御佐曽宇」(おんさそう)は、前年にあった出来事や漁などの生活風景を盛り込んだ奏上文を作詞者が作り、その奏上文を奏上者が節をつけて奏上する行事で、毎年元旦に呼松八幡神社にて開催されています。「御佐曽宇」の行事が行われていた土地は、昔は全国で2,3か所あったそうですが、現在は、倉敷市呼松町のみになっているそうです。

昔は船を使って瀬戸内の島々へお酒を配達

 その歴史ある呼松町に、「有限会社川豊酒店」はあります。その歴史は、明治27年(1894年)、初代中田豊松氏が酒屋として創業したのが始まりで、当時のお店では甕(かめ)から量り売りでお酒やお酢を売り、その他にも日用品雑貨なども販売していたとか、また、お店の前にはすぐ海があった為、お酒やお酢を豊島、広島、真鍋島、北木島、六島、大飛島、小飛島、走島、鞆などの島々の酒屋へ宝寿丸(貨物船)を使いお酒の配達をおこなっていたそうです。当時は、蔵から船へ一斗甕(いっとがめ)を使い「歩み」という板の橋(バタ足)を渡ってお酒やお酢を船へ積み込んでいたそうで、昔の呼松の方言で「ほうたれおちる」という言葉があるそうですが、蔵人が安定性の悪い板の上でバランスを崩しお酒ごと海へ落ちたという逸話が残されており、今ほど海上、陸上の交通手段が発展していなかった当時、蔵人は大変な苦労を重ねお酒やお酢を運んでいたことが伺えます。

地元に根ざした家庭的なお店として

 大正始め頃になって2代目中田覚治(かくじ)氏が、後を引き継ぎ、その気さくな人柄で地元でも信頼厚く商売も順調にいっていましたが、昭和16年頃、統制によりお酒造りも出来なくなり大変困ったそうです。そんな中、覚治は300人以上の署名を集めれば酒の販売を再開できるという事を聞き、呼松中を一軒一軒歩いて周り、それでも数が足りなかった為、水島の団地の方にも出向き、署名を集めて酒の販売の再開にこぎ着けたそうです。その後、3代目は早くに他界したので、昭和35年(1960年)、4代目中田歳光代表取締役が後を引き継ぎ、昭和47年(1972年)には、「有限会社川豊酒店」として法人化。その後も地元に根ざした家庭的なお店として、日本酒をはじめ焼酎、ビール、洋酒、ワインなどお酒を中心にタバコや日用品雑貨も取り扱い、現在もご主人と奥さんのご夫婦を含めご家族で仲良く代々受け継いだ大切なお店を守り続けています 。

所在地

〒712-8053 倉敷市呼松1-10-30

電話番号

086-455-8647

代表者

中田歳光(代表取締役)

創業

明治27年(1894年)