
厄神社と薄田泣菫の
6枚屏風型の詩碑
水島エリア|歴史的建造物・神社仏閣・史跡
ああ大和にしあらましかば
平安時代中期から続く氏神様。伝統行事や地域の祭りも行われています。
明治詩壇の薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」が備前焼の陶板に焼きこまれ
六曲の屏風形の御影石で建立されています。




厄神社
厄神社は、貞観9年(867年)に備後国鞆之津の祇園宮より勧請。須佐之男命を祀り災難防護、産業繁栄、文芸学問向上の神としてその御神徳を仰ぎ、現代にいたれば厄除、家内安全、また水島地区の企業では業務安全を願い広く崇敬されています。
7月下旬の夏越大祓祭は、「輪くぐり」と、西浦小学校で伝統行事の「額灯し」が併せて行われます。10月中旬の秋祭りには神輿渡御が行われます。
7月下旬の夏越大祓祭は、「輪くぐり」と、西浦小学校で伝統行事の「額灯し」が併せて行われます。10月中旬の秋祭りには神輿渡御が行われます。
薄田泣菫の6枚屏風型の詩碑
郷土出身の明治詩壇の薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」の第一節が、筆跡を拡大して備前焼の陶板に焼きこまれ、六曲の屏風形の御影石で建立されています。
泣菫は、昭和20年(1945年)に亡くなり、詩碑はその業績を記念し、連島町一帯や水島灘を一望できる厄神社境内に昭和29年(1954年)に建立されました。野田宇太郎が参画し、屏風に見立てた詩碑とその前に泣菫使用の筆を納める筆塚を配置する設計は谷口吉郎、碑陰の顕彰の撰文揮亳は日夏耿之介によるものです。
平成15年(2003年)7月連島町大江地区に在る生家が修復され、「薄田泣菫生家」として泣菫の歴史・作品の紹介をおこなっており、市内外から多くの人が訪れています。
(2025.11)
泣菫は、昭和20年(1945年)に亡くなり、詩碑はその業績を記念し、連島町一帯や水島灘を一望できる厄神社境内に昭和29年(1954年)に建立されました。野田宇太郎が参画し、屏風に見立てた詩碑とその前に泣菫使用の筆を納める筆塚を配置する設計は谷口吉郎、碑陰の顕彰の撰文揮亳は日夏耿之介によるものです。
平成15年(2003年)7月連島町大江地区に在る生家が修復され、「薄田泣菫生家」として泣菫の歴史・作品の紹介をおこなっており、市内外から多くの人が訪れています。
(2025.11)
団体名
厄神社
所在地
〒712-8001 倉敷市連島町西之浦3815
電話番号
086-444-7372
ポイント
高台に位置する境内は、連島町、水島の街を一望できるベストスポットです。
駐車場:境内へ6~7台程度
関連リンク
水島エリアの体験「薄田泣菫生家(すすきだきゅうきんせいか)」
https://www.kurashiki-tabi.jp/rm_experience/rm-experience22/
水島エリアの魅どころ「都羅の小径(つらのこみち)」
https://www.kurashiki-tabi.jp/rm_see/rm-see23/