
一の口水門
船穂エリア|歴史的建造物・神社仏閣・史跡
高瀬舟の物資輸送を今に伝える
300年以上前に造られた水門で、高瀬舟による長い間の水運に活用された。

閘門式運河として
一の口水門は、今から300年以上も前の延宝年間に、当時の松山藩主水谷氏によって設けられました。ここから350メートル下流には「二の水門」も設けられ、高梁川と水路との間に生じる水位差の調整を行う閘門式(こうもんしき)運河として長きに渡って水運に活用されることとなります。玉島港までの約10キロメートルのルートは通称「高瀬通し」と呼ばれ、20世紀初め頃まで高瀬舟が物資を積んで盛んに上下していました。
倉敷市指定文化財
一の口水門は、大正時代に行われた工事により用水取り入れ口に改造されましたが、その構造自体は創設時のままをとどめていて、200年以上も続いた高瀬舟による物資輸送を今に伝える重要な記念物として市の文化財に指定されています。
(2026.1更新)
(2026.1更新)