倉敷手織緞通

倉敷エリア|工芸品

日本の風土に合った手織の敷物

植物天然素材で作られた丈夫で美しい手織の敷物

倉敷手織緞通の系譜

 昭和の初期、早島町で花筵(花ござ)の製造を行っていた矢吹貫一郎氏が日本の和洋折衷の建物にも合う敷物として考案した「金波織」を民芸運動家の柳宗悦氏が見て「倉敷緞通」と名付けたのが倉敷での緞通の始まりです。当時、イ草の商社として出発していた日本莚業株式会社ではこの倉敷緞通を製品化して倉敷の特産品として全国的に販売し、昭和30年代から40年代にかけては注文に生産が追い付かないほどの隆盛でした。  しかし原材料の高騰や課税などが重なって昭和61年を最後に日本莚業での生産は中止。その緞通づくりの灯を受け継いだのが日本莚業で職人として働いていた高田登氏です。「高田商店」として独立後、夫婦で緞通を織り続けていた高田氏は商標の関係で「倉敷緞通」を名乗れなかった自身の製品に初代民藝館館長の外村吉之介氏から「倉敷手織緞通」の名をもらい、以降、親子相伝で緞通を織り続けています。現在注文が多いのは1畳から2畳のセンターラグ。ほかに玄関マットやドアマットサイズのものも作られます。

倉敷手織緞通の魅力

 倉敷手織緞通が長い間に渡って多くの人に愛用されている理由は色々ありますが、大きな魅力は長い間の実用に耐える丈夫さと人間国宝芹沢ケイ介氏による美しいデザインが共存していること。また、素材から全て植物天然素材で人にも環境にも優しく、通気性があって四季のある日本の気候風土で使われる敷物に適しているなど機能性にも優れています。  その構造は、イ草に和紙を巻きつけた裏の横糸(ヌキ)と木綿糸をリング状に紡いだ表の糸とでなっています。ヌキと表の糸とを人力で圧縮しながら三段織りで織り込んでいくのですが、その際にヌキの直径が三分の一になるぐらいまで緊密に圧縮されるのが強度の秘訣。また織りの作業は必ず二名が一組で行い、さらにお互いのタイミングがぴったり合っていないと商品になりません。そのため高田商店では代々、親子や夫婦でのみ生産を行っています。

代の継承が目標

 現在、主に作業を行うのは登氏の長女である下原真澄氏とその次男孔明(みちあき)氏、長女の結子氏。登氏は今でも職人として最終仕上げをするだけでなく全体の出来上がりに常に目を光らせ、そのお眼鏡にかなった商品でないと世に出ることはありません。「登さんの作った品が欲しいと言われる方もいるので、そういった方に次の代が認められる様になるのが目標」と語る真澄氏。そのために日々の研鑽が続きます。  倉敷手織緞通は関東や倉敷の民藝館、美観地区の民芸店「ちぐさ」でも多少取り扱いがありますが、月に10畳分ほどしか作られない少量生産品なので常に品薄状態。ただし、ホームページや電話で直接オーダーが可能です。 (2021.11更新)

団体名

髙田商店

所在地

〒710-0053 倉敷市東町2-15(自宅・工房)

電話番号

086-423-2474

ポイント

【取扱店舗】
諸国民芸ちぐさ、倉敷民芸館、他

【ご連絡先】
 086-423-2474(自宅・工房)

ホームページ

http://dantsuu.main.jp/