倉敷エリアの風習・祭り

日常使いの素朴な工芸品の数々

長い歴史を持つ倉敷の町には数多くの工芸品があります。その特色の一つとして、鑑賞的な工芸品よりも実用的な民芸品が大きなウェイトを占めていることが挙げられます。そしてこれらは大きく二つの流れに分けることができます。

まず一つは、玉島だるま、倉敷はりこ、い草製品といった江戸時代から続く伝統的な工芸・民芸品などです。かつて天領だった倉敷の町は、物資の集積地として栄え、商業がさかんでした。そんななか、これらの品は農家の副業として始められたものを起源とし、現在でもいわゆるお土産品として定着しています。

もう一つは倉敷ガラス、備中和紙、酒津焼、倉敷緞通など、明治以降につくられ始めた工芸・民芸品です。実用的な機能性と飽きのこない装飾美を兼ね備えた日用的な道具として、今でも多くの人に愛されています。

手にしっくりと馴染み、やさしい温もりが感じられるこれらの造形は、丈夫で長く使える道具としての本物の価値を備えています。実際に手にとって眺めてみれば、伝えられてきた、あるいは追求されてきた確かな技術を守り育て、さらにより高い次元へと昇華させてきた職人たちの腕と真心を感じることでしょう。

倉敷ガラス

表情の微妙な違いが味わい深い口吹きガラス。
長さ50cmあまりの吹き竿を操り、1300度に熱したガラスを巻き取り、素早く作り上げるので、コップ作りに要する時間は約6分ほどですが、一つ一つを丁寧に口吹きで制作する倉敷ガラスは、それぞれが違う表情と味わいを持っており、ほどよい厚みと重さが温もりを感じさせます。

酒津焼

倉敷で最も古い工芸品とされる酒津焼。海鼠や白萩といった釉薬を濃くかけた重厚な造りと、光沢のある優雅な風合いが特色です。ルーツは約140年前に倉敷の豪商、岡本末吉氏が開いた阿智窯。その後、明治9(1876)年に良質の陶土に恵まれた酒津に移窯。萩から陶工を呼び寄せ、規模を拡大し、本格的に作陶を始めたといわれています。

備中和紙

約200年もの歴史を誇る良質の和紙です。書道用紙や巻紙など伝統様式の他に、便せんや封筒など多彩に揃っています。また奈良時代に起源を持つ手漉き和紙・清川内紙(せいごうちがみ)の伝統技法をそのまま踏襲し、丈夫で墨のりが良く、特に仮名書きに最適だと書道家に好評を得ています。

倉敷手織 緞通

イ草・和紙・綿糸で作られた手織りの敷物用織物で、ごわっとした肌触りに感じる温かさが持ち味です。その始まりは昭和初期。矢吹貫一郎という発明家が考案したイ草「金波織」という緞通を、とある企業が製品化しました。この西洋カーペットとイ草織を組み合わせたユニークな工芸は後に、民藝運動の創始者・柳宗悦の目にとまり、染織家の人間国宝・芹沢銈介氏によるデザインも取り入れられるようになりました。その製作工程は、すべてが手作業。イ草を芯として、それに和紙を巻き付けたものを裏の横糸とし、表はリング状に紡いだ綿糸を用いて丁寧に織り込んで少しずつ仕上げます。イ草と和紙、綿糸という3つの植物系の天然素材を用いることで、蒸れにくく埃も立ちにくいのが最大の特徴。一般的な羊毛や絹を材料とした敷物よりも、四季があり、湿気の多い日本で最も適した敷物だといえます。

花ござ

ござにはイ草を細かい織り目の花柄や幾何学模様に織り込んだものがあり、これを花ござといいます。
近世の干拓により塩分を含む土壌がイ草栽培に適していた倉敷では、江戸時代中期からさかんに行われた。農家の副業として始まった畳表の生産は、明治初期に磯崎民亀が発明した高級花むしろ、金莞筵へと発展。緻密で繊細な図案だけに高価で、輸出品として重宝されました。
念入りに染め、40年近く働く機械で織る製品は花むしろやテーブルセンターなど多彩で、その愛用者は全国に広がっています。

玉島だるま

「祈願達磨」と呼ばれ、古くより祈願成就の縁起物として親しまれているだるま。
玉島は西日本最大のだるまの産地です。「七転び八起き」は人の一生であり、人生訓でもあります。選挙の頃には大忙しです。

倉敷はりこ

岡山県伝統的工芸品でもある「倉敷はりこ」は、江戸時代の終わり頃に倉敷の人形師である生水多十郎が男児の誕生を祝って制作した虎のはりこが倉敷はりこの始まりといわれています。ユーモラスな動きと表情が、愛嬌たっぷりで縁起物として知られている虎の張り子は端午の節句の飾り物として現在も受け継がれており、虎の他にも十二支や素隠居の面なども作られています。

素隠居

素隠居とは、当地岡山県倉敷市にある阿智神社のお祭りの御神幸の雌雄の獅子に付き添う翁(じじ)と媼(ばば)の面をかぶった若者を指します。この素隠居は元禄5年(1692年)阿智神社にほど近い戎町の宰領をつとめていた沢屋善兵衛が寄る年並に勝てず、人形師の柳平楽に頼んで「じじ」と「ばば」の面を作らせ、店の若者にこの面をかぶらせ、主人の代理として御神幸の行列に参加したことに始まるとされています。
素隠居という呼び名は明治以後誰彼となく、この「じじとばば」のことを呼びはじめたようですが、ただの御隠居という意味で「素の隠居」であったり、「素晴らしい隠居」であったり、「素朴な隠居」というような意味が語られています。
素隠居が持っている渋うちわで頭を叩かれると、御利益があると言われています。なので、ここ倉敷の親は子供(赤ちゃんに近いぐらいの子供)が怯え、泣き叫んでもその子供の頭を素隠居の前に差し出します。


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