倉敷 源平合戦 古戦場めぐり

ご存じでしたか?倉敷は、後世に知られる、源平合戦の古戦場です。

都を追われたとはいえ瀬戸内の制海権をにぎる平家一族は、児島にも拠点をおき、形勢逆転をはかります。一方、日の出の勢いで平家に迫る源氏。ここ倉敷の地での攻防がやがて、一気に歴史を動かしていくことになるのです。
  • 藤戸合戦
  • 水島合戦
  • 下津井合戦
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9:30JR倉敷駅
車で約25分
藤戸寺 藤戸合戦
藤戸寺
藤戸寺の起源は古く、天平年間(729~749年)に行基が創建したと伝えられています。しかし、何よりも、藤戸寺が全国に知られるのは、寿永三年(1184年)の源平「藤戸合戦」と、それにまつわる悲話によるところが大きいでしょう。
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佐々木盛綱像
佐々木盛綱像
倉敷川にかかる盛綱橋のモニュメント

10:00藤戸地区

風景に記憶された「源平藤戸合戦」を歩く

児島に拠る平家追討のため、源氏方は藤戸海峡をはさんだ日間山一帯に陣をおきます。しかし、東国武士である源氏は水軍をもたないうえ、舟の扱いにも不慣れでした。源氏方の武将・佐々木三郎盛綱は、地元の若い浦人から対岸に渡る浅瀬の場所を聞き出し、口封じのため殺してしまいます。この逸話は、物語や謡曲『藤戸』のなかに登場して、広く知られるものとなりました。
戦ののち恩賞として児島の地を賜った盛綱は、源平の争乱で荒廃した藤戸寺を修復。源平両軍の戦死者と、己の功名のため命を奪ってしまった若い浦人の霊を供養するため、「藤戸寺」で大法要を行いました。
倉敷川にかかる盛綱橋を渡れば、すぐ右手に「経ヶ島」。盛綱が藤戸寺で大法要を営んだ際、書写した経文をこの小島に埋めたことからその名の由来となっており、頂上には経塚と浦人の供養塔が残っています。
徒歩すぐ

映画「ALWAYS」のロケ地にもなったお店

藤戸名物といえば、何といっても藤戸饅頭。しっとりしたこし餡を独自の薄皮でくるんで蒸した伝統の和菓子で、藤戸寺の門前にある藤戸饅頭本舗が作っています。古くは藤戸寺の境内で出店していましたが、万延元年(1860年)今の場所に店舗を構えました。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のロケ地にもなり、懐かしい店構えが観る人の心をとらえました。
「新店舗もあるんですが、ここで買う方が情緒があって美味しそうな気がするというお客さんも多くてね」と、主人の金本博行さん。お話を聞いている間にも、次々にお客さんが訪れては買い求めていました。

11:00藤戸饅頭のお店

藤戸饅頭 藤戸饅頭 詳しく見る
藤戸饅頭
盛綱に殺された浦人の法要が藤戸寺でおこなわれた際、村の民家が供えた饅頭が起源と伝わる藤戸名物。元々は境内の茶店で売っていたのが、まんじゅう小屋で売られるようになり、その後、万延元年(1860年)現在の地に店を構えました。
車で約30分
水玉ブリッジライン玉島大橋(源平大橋) 水島合戦
水玉ブリッジライン玉島大橋(源平大橋)
東の乙島に源氏軍、西の相島に平家軍が陣を構え、この橋の下あたりで、水島合戦が行われました。
源平合戦水島古戦場の碑源平合戦水島古戦場の碑
源平合戦水島古戦場の碑
玉島大橋の西側、東側それぞれに建つ水島合戦の記念碑。
玉島の町並み
玉島の町並み
江戸情緒が色濃く残るとともに、昭和のノスタルジーがあふれる町。

13:00玉島港

なつかしい町並みの玉島の町歩き

寿永二年(1183年)、木曽義仲の軍勢は屋島に本拠を置く平家追討に向かいます。そして屋島に渡る前に、水島灘で平家との「水島合戦」に臨みました。
場所は今の水玉ブリッジラインの玉島大橋(源平大橋)がかかるあたりの海域だったと推測されています。西の柏島には平家が、そして海を挟んで東の乙島には源氏が陣を置き、操船術に長けていた平家軍に軍配が上がりました。
現在の玉島は江戸から昭和初期にかけて栄えた港町として、県の町並み保存地区に選定されています。
江戸情緒が色濃く残るとともに、昭和のノスタルジーがあふれ、人々のあたたかいふれあいが心地いい町です。
なつかしい町並みの続く玉島の町歩きと、「水島合戦」古戦場めぐりを楽しんでみてはいかがですか。
車で約10分

玉島港や瀬戸内海を一望できるロケーション

「水島合戦」がおこなわれた当時の玉島は瀬戸内海に点在する小さな島々でした。しかし江戸時代になると松山藩により大々的な新田開発が行われ、元禄時代には北前船と高瀬舟の水運により、玉島は港町として栄えました。
玉島市街地から、南西方向白樺山の頂上にある円通寺あたり一帯は、円通寺公園として整備され、山頂の展望台からは、玉島港と瀬戸内を一望できる最高のロケーションです。現在、円通寺は僧良寛修業地として岡山県史跡に、円通寺公園は岡山県名勝地に指定されています。
源平の古戦場に想いを馳せながら、瀬戸内海の美しい眺めを楽しんでみてはどうでしょうか。
円通寺公園からの眺め
円通寺
円通寺
江戸時代の良寛和尚が若いころ修行した寺として知られています。
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円通寺公園からの眺め
玉島市街地から南西方向に位置する小高い丘の上に、四季折々の花々が咲く円通寺公園。玉島港や瀬戸内海を一望できます。
車で約60分
下津井の町並み 下津井合戦
下津井の町並み
瀬戸大橋の架橋にあわせ沿岸道路が整備され港も近代化が進んでいるが、町中には江戸時代に廻船問屋や遊郭が軒を並べた頃の面影が残っています。岡山県によって町並み保存地区に指定されています。
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田土浦公園
田土浦公園
生涯最後となった中秋の名月を迎えて行盛が詠んだ歌を刻む歌碑があります。

15:30下津井地区

歌碑に遺された下津井合戦の軌跡

「水島合戦」で源氏方に大勝した平家の軍勢が一の谷に布陣していたころ、下津井では、平清盛の弟である平教盛とその子通盛、教経が入って大将となり、守りにあたっていました。
それを知った讃岐や阿波の国府に仕えていた兵や役人は、下津井を襲撃して、その手柄をもって源氏のもとに参らん!とばかり、十数隻の船団を組んで下津井港に攻め寄せました。瀬戸内海で起こった戦いのはじまり「下津井合戦」です。
しかし勇猛で知られる教経が一喝すると、反乱軍は下津井に上陸するどころか、弓矢の一本さえ射ることなく、戦わずして逃げ帰ったといいます。
この故事にちなんで江戸後期の歌人平賀元義の詠んだ歌碑が、平家が下津井城を構えたとされる祇園神社の境内に建っています。
また、源氏の大軍を迎え討つため、下津井田之浦に陣を敷く平家の総大将・平行盛が生涯最期に詠んだ歌を刻む歌碑が、田土浦公園に遺されています。
徒歩すぐ

今も常夜灯や雁木が残る町並み保存地区

下津井は天然の良港に恵まれ古くから「風待ち・潮待ちの湊」と、奈良時代・平安時代の文献に記されていました。また江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、金比羅参りの渡し場としても賑わいました。
旧道沿いに残る常夜灯や雁木、本瓦葺きの屋根、土蔵の古い家並みは、県の町並み保存地区として今もなお、変わることのない時と風景が映し出されています。
また、現在も漁業が盛んで「下津井蛸」が有名なこともあり、港の近くでは11月頃からは蛸を天日干しした風景が見られ、地元漁協による小売市場も催されています。

16:30むかし下津井回船問屋

むかし下津井回船問屋 むかし下津井回船問屋 詳しく見る
むかし下津井回船問屋
明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館。母屋など当時の商家の様子がうかがえるほか、下津井にまつわる資料の展示や、地元特産物の販売、食事処もあります。
車で約20分
18:00JR児島駅
GOAL

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