倉敷市でもっともポピュラーな観光スポットである倉敷美観地区。
倉敷川畔に並ぶ柳並木などの豊かな自然は四季折々違った顔を見せてくれますが、今回は美観地区を中心に、倉敷の建物を写真の撮影スポットと共に紹介させていただきます。
伝統的な建築物が数多くある倉敷美観地区ですが、近代では大原美術館をはじめ、新しいものを常に足していくということを繰り返してきました。これらの建物は時間とともにまわりに溶け込み、上手く調和して美観地区の景観を形成しています。
倉敷にはこのような建物が随所に隠されていますので、みなさんも倉敷へお越しの際は、いつもと少し違った視点で倉敷の町並みをご覧になってはいかがでしょうか。
最初にご紹介する撮影スポットはこちらです。(写真をクリックすると大きいサイズで表示されます)
左手に中国銀行倉敷本町出張所(旧第一合同銀行倉敷支店)と有隣荘の、それぞれに違った様式の近代建築、右手には伝統的な建造物の白壁、そして奥に見えるギリシャ神殿風の大原美術館と、美観地区の建築を象徴するかのように、様々な建築物が調和した光景を見ることができるポイントです。
大原美術館は日本最初の西洋美術・近代美術を展示する美術館で、倉敷の実業家大原孫三郎が1930年(昭和5年)に設立しました。
ギリシャ神殿を模した本館は倉敷川沿いから見ることができ、美観地区の景観に溶け込んでいます。
夜には本館がライトアップされて幻想的な光景を見ることができます。
有隣荘は1928年(昭和3年)、大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の別邸です。
内装のデザインは児島虎次郎が、作庭は国の名勝にも指定されている平安神宮神苑などを作庭した七代目小川治兵衛によって手がけられています。
和洋折衷の建物で、おおらかで優美な名建築として高く評価されています。
瓦は大原孫三郎が中国大陸に旅行に行った際、中国の孔子廟の屋根瓦にあこがれて模したという独特の色合いで、見る角度によって緑色に光る事から「緑御殿」とも呼ばれています。
倉敷考古館は美観地区の代表的な建物の1つです。
特に写真の、倉敷館側からの風景は見たことのある方も多いのではないでしょうか。
中橋越しに見える倉敷館考古館の白壁が、柳の緑と空の青に映えて、見応えがあります。
倉敷考古館は1950年(昭和25年)年に江戸時代の蔵を改装した建物で、美観地区でもかなり古い建物になります。
倉敷考古館の側面から見て右側の部分は1957年(昭和32年)に増築された部分です。
この増築部分ですが、伝統的な建物とは少し違い、曲線を描く壁や屋根、窓のとり方など、近代建築の要素が随所に見られます。
新しく増築したにも関わらず、築後数十年たった今では新旧の建物は違和感無く美観地区に調和しています。
美観地区にお越しの際は、なまこ壁の模様を見て、建物の歴史の長さを想像してみてください。
ホテル設計者:浦辺鎮太郎
建物に絡み付いている蔦(アイビー)は、紡績工場であった建物の、西日による室温の上昇を防ぐために植えられたもので、アイビースクエアの名前の由来にもなっています。
倉敷アイビースクエアの中には宿泊施設のほか、文化施設や工房など様々な施設があり、観光・宿泊ともに楽しむことが出来ます。
倉敷国際ホテルは、倉敷の事業家で文化人の大原總一郎氏が、世界の賓客を招待できるホテルをと建設しました。
ホテルの設計者の浦辺鎮太郎は倉敷出身の建築家で大原總一郎との関係も深く、倉敷アイビースクエアをはじめ倉敷の様々な建築を手がけ、倉敷の町づくりに貢献してきた建築家です。
建物の外観は、美観地区の伝統とモダンの町並みになじみ、時間が経過しても古さを感じさせないデザインになっています。
写真は倉敷市役所の庁舎です。
レンガづくりを取り入れた西洋風の建築デザインで、写真左側の赤レンガのアーチが特徴的な建物は駐車場、奥の建物が庁舎になります。
一見すると市役所に見えないかもしれませんが、倉敷市民に親しまれています。
周囲には樹木が多数植栽され、50年後、100年後には森に囲まれるよう設計されているそうです。
倉敷市庁舎の他にも、特徴的な外観の公共施設として、倉敷市民会館と倉敷市芸文館が挙げられます。
設計は、倉敷市民会館(1972年(昭和47年)竣工)、倉敷市芸文館(1993年(平成5年)竣工)ともに、浦辺鎮太郎が設立した浦辺設計が行っています。
両者ともコンサートや演劇などのイベントが開催され、市民に広く親しまれています。
また、倉敷市芸文館には倉敷出身の将棋棋士、大山康晴十五世名人の関係資料を展示している大山名人記念館もあり、芸文館は女流タイトル戦である大山名人杯倉敷藤花戦の対局場になっています。