繊維産業を巡る旅~「繊維のまち児島」を再発見~

 

 

 

 

まちの活力はそこに住み、生活を営む人々やそこで働き、ものづくりに携わる個人、企業などにより生み出されます。
倉敷が世界に誇る繊維産業は長い年月をかけて培われた技術により人々に親しまれる数々の製品を世に送り出してきました。この繊維産業を支えてきた地域の歴史と現在も全国有数の繊維のまちを守る人々の活動を紹介します。
(※「広報くらしき 平成22年11月号」の特集記事を許可を得て転載したものです)

 

 

歴史

一大産地を形成した素材と技術history

 

 

真田紐(さなだひも)、足袋(たび)、学生服、ジーンズ…
多種多様な製品を生み出してきた繊維産業の歴史を振り返ります。

 

 

江戸時代に細巾(ほそはば)織物が誕生

 

 

 

 江戸時代初期から、県南部では海を埋め立て、各地で新田開発が盛んに行われました。
雨が少なく温暖な気候に加え、塩分を含んだこれらの新田は、綿の栽培に適していました。
また、児島半島のほぼ中央に位置する由加山に端を発した水系は四方に流れ、ふもと集落を潤しました。
 このように周囲の綿作地帯と、染色や撚よりき機に欠かせない水を豊富に確保できるという好条件に恵まれ、児島地区では、繊維産業が発達しました。
 江戸時代後期から、木綿を原料とした真田紐や小倉帯地などの生産を開始。
真田紐は平たく織った細い紐で、丈夫で伸びないため、刀の下げ緒、下駄の鼻緒などに使われました。これらは当時盛んだった由加・金毘羅(こんぴら)両参りの土産物としても評判となり、旅人を介して全国に知れ渡っていきました。

備中綿

 

 

 

近代繊維産業の興り

 

 

 

 明治時代に入ると、政府が殖産興業を目指し、近代的な紡績業の育成を開始。
明治15年に下村紡績所が開業し、繊維産業発展の基礎を築きました。
 製品は、廃刀令により需要が激減した真田紐に代わり、足袋やランプ芯などへ移行。
中でも足袋は、明治中期に導入した動力ミシンにより量産が可能になり、大正初期になると生産量は1千万足を突破、日本一を誇るようになりました。
また、中国などへ輸出する繊維製品として、細巾織物の腿帯子(たいたいつ―袴(はかま)の裾(すそ)を縛る足帯)が好調で、明治後期から大正中期にかけて隆盛を極めました。
その後、大正後期には同じ細巾織物の流れをくむ光輝畳縁(こうきたたみぶち)の製造が開始され、需要が拡大、現在も日本一の生産を誇っています。

下村紡績所

 

 


 

 

 

学生服王国

 

 

 しかし、大正末期から人々の生活習慣が西洋化し和装から洋装へ転換したことで足袋の需要は激減し、中国向けの腿帯子の輸出も減少していきました。
この危機を救ったのが、足袋の裁断・縫製技術などを生かして誕生した学生服でした。
 当時、学生服を着る学生が少ない中で、児島の先覚者が生産に着手。大正末期は着物8割、学生服2割であったのが、昭和10年ごろにはほとんどの子どもに学生服が普及しました。技術に加え、労働力や生産設備があったことから学生服を縫製する工場が次々と誕生。「児島の学生服は安くて強い」という評価が全国的に高まり、戦前には全国の学生服の9割を生産するまでになります。そして、昭和30年代後半には年間生産量が史上最高の1千万着を超え、再び黄金時代を迎えました。

繊維業界に就職する学卒者であふれる倉敷駅(昭和30 年代後半)

 

 

多品種多彩な衣料へ

 

 

 

 ところが、東京オリンピックによる好景気の反動で国内に不況の波が押し寄せたころ、学生服離れなどが進行して、学生服は売れ行きが徐々に下降。
このころから業界は、体育衣料、事務服、作業服などへも進出していきます。
 一方、昭和30年代に藍あい染め綿織物の流れをくむ国産初となるジーンズを開発。昭和40年代半ばにはジーンズブームが到来し、気軽にはけるカジュアルファッションの代名詞となりました。
国産ジーンズ誕生の背景に、裁断、縫製、洗い、加工など一連の技術のノウハウが児島に集積していたことが挙げられます。海外の有名ブランドの仕上げ・加工などが児島で行われることからも、技術の高さがうかがえます。現在は、オーダーメイドジーンズやデニム生地を活用した新たな製品が開発されています。
 

 


 

 

 

地域で盛り上げる国産ジーンズ発祥のまち

 

 

 国産ジーンズの聖地とも呼ばれる児島では、地域の人々により産業・観光が一体となったさまざまな取り組みが行われています。

 

 

商店街の復活を目指す児島ジーンズストリート

 

 

 味野商店街では、かつての活気を取り戻そうと、「児島ジーンズストリート」計画が進められています。
「児島ジーンズストリート」は旧野﨑家住宅前から味野第2公園までの400メートル程のストリートで、地元ジーンズメーカーの販売店やカフェ、雑貨屋、シャッターに描かれたイラストなど、さまざまな魅力が皆さんを迎えます。

ジーンズストリート

 

 

児島の観光地を巡るジーンズバス

 

 

 内装に児島のデニムがふんだんに使われたバスです。
ジーンズショップや染め工場、ミュージアムなどのジーンズ関連スポットはもちろん、周辺の名所「野﨑家旧宅」やグルメ、お土産スポットなど、児島の魅力を思う存分満喫できる便利なバスです。
運行は金、土、日、祝日、JR児島駅発着

ジーンズバス

 

 

 

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