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倉敷の立役者 大原家の偉業をたどる歴史トラベル

本当にスゴイ倉敷の歴史トリビア教えます!

仰天エピソード満載! 大原家ゆかりの地・倉敷 おさんぽ日和

倉敷美観地区に点在する大原家ゆかりのスポットをめぐる。

実は、倉敷の町並み保存を最初に提唱したのは、大原美術館の創設者・大原孫三郎の長男・總一郎。ドイツ留学中にローテンブルグ市の古典的な町並みに魅せられ、倉敷の町並みを後世に残すことを提案したのが始まりとか。時を経て、国の重要伝統的建造物郡保存地区となった倉敷美観地区とその周辺には、大原美術館や旧大原家住宅など、大原家ゆかりのスポットが、多数点在しています。いずれも徒歩で回れる範囲なので、散策がてら巡ってみては?

  1. 写真:美観地区本通り
  2. 写真:旧大原家住宅
  3. 写真:大原美術館の睡蓮の花
  1. 01.風情ある倉敷の町並み
  2. 02.旧大原家住宅
  3. 03.大原美術館の睡蓮の花
すべて徒歩圏内に集まってます!

ところで Who's 大原さん?

1880(明治13)年、倉敷でも屈指の大地主で、大原孝四郎の三男として誕生した孫三郎。東京専門学校(現早稲田大学)時代にはかなりの放蕩ぶりでしたが、熱心なクリスチャンで薬種業を営む林源十郎や孤児救済に人生をかける石井十次(じゅうじ)との出会いをきっかけに、父から受け継いだ奉仕の精神に目覚めます。そして、1906(明治39)年に社長となった倉敷紡績を全国規模の会社に成長させる一方で、さまざまな社会貢献にも力を注ぎました。

写真・肖像画:大原孫三郎 そもそも何やった人なんだろう?

SPOT01

国の重要文化財にして、大原家当主が暮らす現役の住居!

旧大原家住宅(きゅうおおはらけじゅうたく)

江戸時代中期に綿の仲買や米穀問屋を営んで倉敷の有力商人となり、幕末から明治にかけての動乱期を乗り切って、庄屋を務めるほどの大地主ともなった大原家。孫三郎の父・孝四郎が紡績会社(現クラボウ)を設立した後は、経済活動はもちろん、文化や町づくりなど倉敷の発展に大きな影響を与えてきました。そんな大原家の9代目当主が暮らす旧大原家住宅は、国の重要文化財に指定されています。1795(寛政7)年に着工した主屋と後に増築された座敷部分があり、その先には広い庭が広がっています。倉敷窓、倉敷格子といった倉敷独特の意匠や、瓦と白漆喰のコントラストが美しいなまこ壁…。邸内には入れませんが、典型的な倉敷町家の様式を伝える外観は通りから見学できます。

  1. 写真:旧大原家住宅外観
詳しく見る 今も現役の住居なんだね

大原さんの仰天エピソード

孫三郎さんが作ったんだ!

皇太子訪問に向け、孫三郎が私財で架け替えた「今橋」。

倉敷美観地区を流れる倉敷川の川上で、大原美術館と旧大原家住宅を結ぶように架かっている今橋は、1926(大正15)年の皇太子殿下(後の昭和天皇)訪問に合わせて、大原孫三郎が自費で架け替えた石橋です。訪問が間近だったため、工期はわずか40日間。欄干をデザインしたのは、孫三郎と親交の深い児島虎次郎です。欄干上部には皇室の紋章である菊があしらわれています。また、めでたさの象徴であり、かつ孫三郎の干支にちなんで彫られた、20体の見事な龍は一見の価値あり。

写真:今橋

SPOT02

病弱な妻を気遣う孫三郎が建てた、贅を尽くした優美な大原家別邸。

有隣荘(ゆうりんそう)

今橋の袂に佇む有隣荘は、病弱な妻を気遣う大原孫三郎が、「家族のために落ち着いた住まいを」と、1928(昭和3)年に建設した、大原家の旧別邸です。設計には大原美術館本館を手がけた薬師寺主計と、明治神宮や築地本願寺の造営で知られる伊東忠太、内外装デザインは岡山出身の洋画家・児島虎次郎、庭園は近代日本庭園の先駆者であり、平安神宮神苑などを作庭した京都植治の7代目小川治兵衛。実力者が集い、屋久杉や御影石なども用いて生み出した和洋折衷の別邸は、後に来賓館となり、昭和天皇をはじめとする貴賓客を数多く迎えてきました。通常見学できるのは外観のみですが、1997(平成9)年以降は、春と秋の年2回、大原美術館の「有隣荘特別公開」として作品を展示し、邸内を公開しています。

  1. 写真:有隣荘外観
  2. 写真:有隣荘内部
  3. 写真:有隣荘内部
  1. 01.有隣荘外観
  2. 02&03.有隣荘内部
詳しく見る 孫三郎さんの深い愛情を感じます

大原さんの仰天エピソード

瓦一枚でそんなにするの!?

またの名は「緑御殿」。その由来は、高価な緑色の屋根瓦にあり。

本瓦の黒と漆喰の白というモノトーンが基調の倉敷美観地区の中で、赤壁と緑の瓦で独特の雰囲気を醸し出している有隣荘。見る角度によって緑色に光る瓦屋根が目立つことから、「緑御殿」とも呼ばれています。実はこの瓦、児島虎次郎が中国大陸に旅行した際に出会った、中国の孔子廟などの屋根瓦を模したものだといわれています。泉州谷川の瓦職人に特別注文し、特殊な釉薬で艶やかな緑色に仕上げられたこの瓦は、現在の価値にすると1枚が3万円ほどもしたというから驚きです。

SPOT03

大原家ゆかりの旧紡績工場を活用。見学&体験&宿泊の複合交流施設。

倉敷アイビースクエア(くらしきあいびーすくえあ)

ツタ(アイビー)のからまる赤レンガの建物群と、それらに囲まれた中世ヨーロッパの僧院を思わせる広場。多くの観光客が訪れている倉敷アイビースクエアも、大原家ゆかりの地です。明治時代、倉敷に新しい産業を興そうと立ち上がった青年たちの熱意に応えた大原孝四郎が、資金を出してこの地に旧倉敷紡績所を完成させたのが始まりです。その後、紡績所はクラボウへと発展しましたが、新工場の建設などにより、1945(昭和20)年にここでの操業は休止。以降、倉庫などに利用されていましたが、1974(昭和49)年に複合交流施設に生まれ変わりました。ホテルやレストラン、手づくり工房、オルゴールミュゼ、倉紡記念館など多彩な施設を有する倉敷観光の人気スポットとなっています。

  1. 写真:アイビースクエア入口
  2. 写真:アイビースクエア内の池
  3. 写真:アイビースクエア内の池を泳ぐ鯉
  1. 01.ツタが壁一面を覆うアイビースクエア
  2. 02&03.中には池があり、亀や鯉が泳いでます
詳しく見る まるで緑色の建物みたい

大原さんの仰天エピソード

人を大事にしてるからこそ生まれる発想ね!

外壁を覆うアイビーは、時代に先駆けたグリーンカーテン!

「従業員の働く環境を自然と調和させながら人間的、健康的にしたい」。そんな信念を抱いていた、倉敷紡績2代目社長の大原孫三郎。「大型製氷機で工場の温度・湿度を調整しよう」という奇抜なアイデアこそ実現しませんでしたが、旧工場にはさまざまな工夫が凝らされていました。井戸水を循環させる冷房、換気をよくするための換気塔…。そして、外壁を覆うアイビーもそのひとつ。夏に茂って西日を防ぎ、内部の温度調節にひと役買うツタは、時代を先取りしたグリーンカーテンだったのです。

SPOT04

總一郎がオープンさせた倉敷美観地区に佇む上質なホテル。

倉敷国際ホテル(くらしきこくさいほてる)

「世界の賓客を招待できるホテルを」と、大原總一郎が倉敷美観地区に建設したホテル。設計は、總一郎と親交が深く、倉敷アイビースクエアをはじめとするさまざまな建築を通して、倉敷の町づくりを支えた浦辺鎮太郎です。この地の風土や美観地区の町並みと調和するよう、和洋のテイストを融合させた建物は、オープン翌年の1964(昭和39)年に日本建築学会賞を受賞しています。洗練された調度品をちりばめた館内に用意された客室は、全106室で、美観地区を一望できる部屋も。大原美術館に隣接し、JR倉敷駅まで徒歩10分とアクセスもよいので、倉敷観光の拠点に最適です。

  1. 写真:倉敷国際ホテル正面入口
  2. 写真:エントランス
  3. 写真:名画が飾られたホール
  1. 01.倉敷国際ホテル正面入口
  2. 02.エントランス
  3. 03.ホールには名画が飾ってある
詳しく見る こんなホテル泊まってみたい

大原さんの仰天エピソード

近くで見るとその大きさに圧倒されます

世界最大の木板画は、親交深き總一郎の依頼でかの棟方志功が制作。

ロビー吹き抜けの壁面には、世界的な芸術家・棟方志功の大板画「大世界の柵『坤』―人類より神々へ」が展示されています。木板画としては世界最大とされるこの作品は、棟方のよき理解者であり、支援者でもあった大原總一郎の依頼によって制作されたもの。その大きさから版画での制作は困難を極め、「肉筆の作品にさせてほしい」と言う棟方に、「版画でなくてはだめだ」と總一郎が返したため、完成まで大変苦労した…。そんな逸話を秘めた作品は、観るものに圧倒的な存在感で迫ります。

写真:木板画

SPOT05

「倉敷の良い暮らしの提案と情報発信」を目指す複合施設。

林源十郎商店(はやしげんじゅうろうしょうてん)

木造三階建ての本館、母屋、離れ、蔵、庭。風情漂う敷地内に、世界の家具や器などの企画展も行うショップ&カフェの『生活デザインミュージアム倉敷』、初の直営店として話題となった生活雑貨の『倉敷意匠アチブランチ』や、本場のナポリピッツァを気軽に味わえる『pizzeria CONO foresta』など、8店が集結する『林源十郎商店』。レトロな店名のルーツは、1892(明治25)年に林源十郎が当主についた時に改名した薬種問屋の屋号にちなんでいます。本館2階には、薬種問屋としての歴史や、大原孫三郎と深いつながりを持つ林源十郎の歩みを伝える「林源十郎商店記念室」があります。また、屋上テラスから一望できる倉敷の町並みは格別です。

  1. 写真:林源十郎商店内観
  2. 写真:林源十郎商店外観
  3. 写真:林源十郎商店中庭
  1. 01.おしゃれな小物がいっぱい!
  2. 02.林源十郎商店外観
  3. 03.中庭で一息
詳しく見る 見てるだけでワクワクしてくる!

大原さんの仰天エピソード

孫三郎が改心したのは林源十郎のおかげ?

放蕩三昧で借金1億円!?孫三郎を改心させたキーパーソン・林源十郎。

大原孫三郎は東京専門学校(現早稲田大学)時代に、芝居や寄席、吉原に通いつめて1万5000円(今なら1億円!)もの借金をつくったといいます。そんな息子を心配した父は、敬虔なクリスチャンで家業にも熱心な林源十郎に、息子の指導を頼みました。その後、林を師と仰ぐようになった孫三郎は、見事立ち直ります。また、日本初の孤児院を開いた石井十次と、孫三郎を出会わせたのも林でした。そんな林ゆかりの建物が、現在の倉敷観光に新たな風を運んでいるのも興味深いところです。

まだまだあります!

大原家がのこしたもの

岡山大学 資源植物科学研究所

写真:岡山大学 資源植物科学研究所

前身は、1914(大正3)年に大原孫三郎が農事の改善を目指して設立した大原奨農会農業研究所。白桃やマスカットなど多彩な品種改良で、果物王国・岡山県の礎を築きました。1952(昭和27)年に岡山大学に移管され、現代の農業が抱える問題を解決するための研究を続けています。

倉敷中央病院

写真:倉敷中央病院

社会的貢献を重んじた大原孫三郎が、1923(大正12)年に創設しました。目指したのは、「研究目的でない、真に患者のための治療」「病院くさくない明るい病院」「東洋一の理想的な病院」。93年を経てやっと時代が追いついた理念を受け継ぐ、地域基幹病院です。

日本基督教団 倉敷教会

写真:日本基督教団 倉敷教会

1906(明治39)年、大原孫三郎や林源十郎などによって設立された教会です。1923(大正12)年に新築された教会堂は、国の登録有形文化財に指定されています。隣接する倉敷キリスト会館には、誰もが気軽にお茶やケーキを味わえる喫茶コーナーも。

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