酒津公園→水江の渡し→一の口水門へ
春の陽気に誘われて、日頃は美観地区で倉敷地区ウェルカム観光ガイドのボランティアをされている人達と一緒に酒津貯水池周辺、水江の渡し、そして高瀬通しの一の口水門へ行ってきました。
美観地区より少し離れた酒津貯水池の周りにも酒津公園にも桜の木が沢山あります。日曜日ではなかったのですが沢山の人が桜の木の下でお弁当を食べていました。
大原美術館の基礎となる絵画を収集した児島虎治郎(1881~1929年)のアトリエ兼自宅があった元大原家別荘の「無為村荘」です。
『酒津の農夫』『酒津の秋』『酒津の庭(水連)』など酒津の名がついた絵があります。「酒津の庭』の絵は静岡県立美術館にあります。
済興寺は、明治時代に計画された高梁川の改修工事によって現在の場所に移動しました。元あった場所は現在高梁川になっています。
水路は八ヶ郷用水です。
酒津貯水池のほとりに『蛍復活プロジェクト』としてビオトープが造られています。
酒津ではホタルの飛ぶ季節になると多数のホタルがみえます。プロジェクトに関わっている皆さんの努力が実っています。
倉敷美観地区でもホタルが見れる計画があるそうです。
高梁川東西用水組合の建物です。農林水産省の農村振興の疏水名鑑の一つに選ばれています。
水江の渡しは市道で費用は無料です。橋の工事が進んでいます。橋が架かると渡しは・・・
渡し場から約500m西に閘門式水門で日本で一番古いと云われている高瀬通しの一の口水門があります。
高瀬通しを造った備中松山藩の水谷勝隆公は、常陸下館藩主の時、東京の不忍池の弁天堂を築きました。、備中高梁に移ってから水谷勝隆公が、玉島を干拓するのにあたり田に入れる用水だけでなく、高瀬舟を利用して物資を運搬できる水路を造ったのです。それが高瀬通しです。
水門小屋の中を見学です。文化財になっていて普段は見ることはできません。西側の小屋が昭和10年に焼けたために東側の小屋を移動。道路改修で東側の水門は現在道の下になっています。
一の口水門から橋の工事を眺めながら「水江の渡し」の渡し場に帰り、「水江の渡し」を渡って帰りました。約2時間ぐらいでゆっくりとまわることができました。倉敷美観地区から約15分ぐらい(渋滞がなければ)の所にあります。
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