備中岡田藩は関ヶ原の後、初代伊東長実から10代で廃藩置県を迎えるまで250年にわたり川辺宿を中心に領主として続きました。見るべきところは多くありますが今回は明治26年の大水害の証、源福寺と伊東家の菩提寺の源福寺についてご案内します。


伊東家の家紋です。
明治26年の大水害供養塔です。
岡田藩であった川辺では明治時代13年、19年、26年に高梁川の水害にあっており、源福寺の御霊屋前には「大洪水溺死者供養塔」があります。
記録によると、秋祭りの川辺で384軒あった家屋が19戸を残しすべて流失したそうで、ガイドさんが示す位置までみずがきたそうです。堂の中の伊東家の位牌の後ろにも水害の痕跡があります。


伊東家の墓地ですが・・・
伊東家の墓地ですが10代続いた伊東家の当主では9代「伊東長裕」の墓のみがあります。そのほか伊東家ゆかりの方たちの五輪の塔が並んでいます。こちらを楽しむには真備ウェルカムガイドにお願いするのがいいと思います。良く説明してくれます。
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