備中杜氏の郷 ①~南浦から寄島
日本酒、その最も古い記述は古事記にある「ヤマタノオロチ退治」。
スサノオノミコトが「八塩折りの酒」をつくらせ大蛇を退治する場面は、各地の神楽でおなじみです。
備中神楽では、酒造りの守護神「松尾明神」を登場させ、酒造りの様子を面白おかしく演じる一幕があります。
松尾明神が大蛇に飲ませる酒を作る様子。備中神楽で岡山の酒を宣伝してきました。(「岡山の酒」より)
また、万葉集に「吉備の酒」の歌が詠まれているほど岡山県の酒の歴史は古く、稲作文化の栄えた古代吉備の国ですでに酒造りが行われていたようです。
「ふるひとの たまえしめたる吉備の酒 病めばすべなし 貫簀たばらむ」 丹生女王
「備中」とは、岡山県の西部をさす旧国名です。
備中杜氏のふるさと、倉敷市玉島の最南西端、南浦地区と、隣接する浅口市寄島町に出かけました。沙美海水浴場から西に約3km、曲がりくねった崖のような山道を降りると、目の前は南浦の海です。北側に竜王山がそびえています。
青佐山方向に続く南浦の海
この海岸に沿って、南浦の酒蔵とかつての面影を残すその姿がありました。
備中杜氏の起源は、江戸時代中期、笠岡市出身の浅野弥治兵衛が灘地方で酒造法を習得し、各地を巡ったのち故郷で杜氏を育成したと伝えられています。
本みりん製造の、藤澤藤左衛門商店を訪れました。
奥さまからお話を聞かせていただきました。かつては、このあたり海岸一帯の酒蔵では、朝から米を蒸す湯気が立ち上り活気があったそうです。すぐ前の海岸から、伏見や灘の大手酒造会社へ樽売り(たるうり)で蔵送りしていました。農閑期の冬場になると、杜氏さん、蔵人さんが大勢酒造りに来てくれたそうです。
次に向かったのは、本みりん製造の妹尾酒造本店。
南浦には最盛期には、30軒余りの酒造業者がありました。日本酒の製造は激減しましたが、南浦の本みりんの評判は高く、全国から買いに来られたリ注文があるそうです。
南浦を後に、さらに西へ2.5km行くと、浅口市寄島町です。
お隣の市ですが、同じエリアという印象を受けます。南浦・寄島は山が海岸まで迫り、耕地が少なく、農業・漁業の閑散期である冬場の収入源として酒造業が盛んになりました。 備中杜氏は全国に名を馳せ、特に寄島の杜氏の数は圧倒的でした。
寄島の氏神様「安倉八幡神社」、ここに、備中杜氏の先覚者「道弘亦造の彰功碑」があると聞き、立ち寄ってみました。
酒の神様「松尾神社」の奥に「道弘亦造の彰功碑」を見つけました。
道弘亦造は、明治15年より松江の酒造場に勤務したのち、寄島で酒造講習会を開催、また備中清酒醸造学校を開校するなど、技術の普及と後進の育成に尽くしました。
松尾神社には、「松尾神社建築記念」の碑(大正9年)があり、安倉地区の杜氏の名が刻まれています。
備中杜氏の起源については記録がなく、古老杜氏から聞き及んだことだそうです。ですが、備中南部海岸地帯に多くの杜氏がいたこと、酒造業が盛んであったことは間違いのない事実と言えます。
現在も浅口市には、多くの酒造会社があり、伝統の酒造りを行っています。
備中県民局のパンフレット 「おかやま備中杜氏の郷」
備中地区の酒蔵と、蔵・酒造り見学(予約制)ができる酒蔵13軒を紹介しています。
美味しい日本酒の飲み方など、楽しくご覧いただけます。
参考文献 岡山の酒 (小出 巌 ・ 西原礼之助 著) 日本文教出版社
岡山の酒 (岡山酒造組合連合会協賛) 山陽新聞社
備中杜氏 今昔物語 (水辺のユニオン) 山陽新聞社