楯築遺跡
およそ2000年前、弥生時代の後に、古墳が多く造られた古墳時代がありました。3世紀後半から7世紀頃の約400年です。
古墳が多くあるのは、九州北部(筑紫)、山陰(出雲)、畿内(大和)、群馬・栃木(毛野)、そして吉備です。
*古代の吉備のエリアは、現在の岡山県全域と広島県東部、兵庫県西部とされ、その中心は現在の総社市、倉敷市、岡山市です。特に大きな古墳が存在するのが大和と吉備です。
吉備にある造山古墳は全国で4番目、作山古墳は9番目の大きさ、その他上位の古墳は全て大和の古墳です。
大きな古墳を造ることができたのは、大きな政治的な力を持った人がいたと考えられ、吉備は稲や鉄、塩の生産、海の交通などで大きな力を蓄えていたといわれています。
倉敷市矢部にある「楯築遺跡墳丘墓」を訪ねました。
王墓の丘遺跡公園
楯築遺跡は「王墓の丘史跡公園」内にあり、この公園内には約60基の古墳が残されています。南から王墓山地区、日畑赤井堂地区、楯築地区に分かれ、王墓山地区は更に南から東谷古墳群、真宮古墳群、大池上古墳群、赤井西古墳群と分かれています。
いくつかご紹介致します。
東谷10号墳
東谷古墳群10号墳:南に開口する横穴式石室を有するが、既に墳丘と天井石の全てを失っている。
真宮6号墳
真宮古墳群6号墳:現存する王墓山の古墳群中、最も長大な横穴式石室を有する。
王墓山古墳
王墓山古墳(県指定史跡):浪形石(貝殻石灰石)の家形石棺を持ち、豊富な副葬品が出土する等、この地域でかなり傑出した存在だったと考えられている。
そして、楯築遺跡墳丘墓です。
桃太郎の伝説では、鬼ノ城に住み着いて悪事を働く温羅に対し、吉備津彦命が楯築遺跡を築いて温羅に備えたと言われています。
楯築遺跡(国指定史跡):現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級。埴輪の祖形となる特殊器台、特殊壺が出土。
15分程歩いた場所に、鯉喰神社弥生墳丘墓があります。
鯉喰神社が建っている場所は、桃太郎の伝説で、鵜に姿を変えた吉備津彦命が、鯉に姿を変えた温羅を捕らえたとされる話の舞台です。
鯉喰神社
墳丘墓の上に建てられていますが、判明したのは最近の事で、地元でもあまり知られていません。
ところで、古墳を見たり調べたりしていく時に、面白い豆知識があります。
弥生時代には弥生墳丘墓、4世紀には前方後円墳が造られ始め、5世紀初めに造山古墳、その後の作山古墳をピークに次第に小さくなり、6世紀には規模が小さいながらも巨大な石を使った横穴式石室を持った古墳が造られる。7世紀になると群小古墳と呼ばれる小さな古墳になっていく。というものです。
私達の身近にこんなに多くの古墳と、歴史や謎があります。
調べていくと、相当奥深く、面白いです。
ぜひ訪ねてみて下さい。
アクセス:
徒歩:JR中庄駅より約5.5㎞、1時間15分。倉敷市観光客誘致協議会発行のウォーキング
ロードマップを倉敷館観光案内所にご用意しております。
バス:JR中庄駅から「庄新町地区乗り合いタクシーなかよし号」
乗車1時間前までに要予約。平和タクシー倉敷営業所(0120-25-8028)
平日14便、土曜6便(日・祝日運休)