最後の文人画家「柚木玉邨」其の一 柚木玉邨作品展~玉邨と祥吉郎
新春、1月4日から20日まで、玉島市民交流センター主催の、柚木玉邨と孫の祥吉郎の作品展が開かれました。昨年秋の「柚木久太展」に続き、柚木家三代の書画に触れる貴重な展示となりました。
柚木家は、寛文年間(1660年代)浅口郡亀山村(現・倉敷市富田)より玉島に移住し、備中松山藩の吟味役から奉行格の待遇を受けました。また玉島村庄屋を務めた家柄でした。
玉島3丁目の旧柚木家住宅「西爽亭」は、国登録有形文化財に指定されています。
柚木玉邨は、慶応元年に玉島で生まれました。本名を方啓、通称梶尾。号は玉邨。儒学、漢詩、書を数々の師に学び、東京帝国大学(現東京大学)農学部を卒業。第八十六国立銀行(中国銀行の前身)取締役を務め、また岡山農業会幹事・技師として農政の多くの功績を残しました。
本格的に絵の道に進んだのは、病気のため実業を退いた40歳を過ぎてからのことでした。
中国人胡鉄梅に南画を学び、自らも中国を訪れ独学で宋・元の古法を極めました。玉邨の才能は花開き、流麗で風格ある文人画家として高く評価されました。
実は、玉邨は左利きであったのですが、本当の線を表現したいと右利きに修行し直したそうです。
「詩・書・画」が揃ってこそ真の文人画家であると自らが述べていたそうですが、玉邨こそ真の文人画家でありました。そして、最後の文人画家とも称されています。
玉邨の作品を紹介します。
玉邨の孫、柚木祥吉郎の絵画を紹介します。
柚木祥吉郎(1019年~2005年)は、柚木久太の長男として、大正8年東京田端に生まれました。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。日展特選を受賞。岡山大學、ノートルダム清心女子大学助教授歴任したのち、柚木美術研究所を開設し後進の指導にあたりました。
遂に富士山が顔を出した。大地と大空との壮麗な五分間のドラマ。
ポルトガルのカスカイス。船の白と海の青と、砂浜の赤い色が美しい。
「霞立つ ながき春日に 子供らと てまりつきつつ この日暮らしつ」
玉島の古い民家などには、玉邨、久太、祥吉郎の書画が大切に残されているかもしれません。玉島をよく知る古老は、今でも柚木家の先生方がいかに素晴らしかったかなど話してくれます。
柚木家が名家であったこと、持って生まれた才能もさることながら、恵まれた風雅な環境の中でこそ磨かれ花開いた書画の世界。三人に共通して言えることは、長命であり、病気と付き合いながらも一生絵筆を持ち続けたことであります。
すべての作品を紹介できないのが残念ですが、きっとまた機会があることと思います。多くの人に、柚木家の先生方の作品に触れることで、その時代や背景にも興味や関心をもっていただけたら嬉しいです。そして、多くの文人を生んだ玉島をもっと知っていただきたいと願っております。
どうか、次回をお楽しみに!!
※今回は、特別に写真の撮影を許可していただきました。
また、展示の資料を参考にさせていただきました。
倉敷市では、雛めぐりのイベントが始まります。