良寛修行の地
倉敷市玉島にある円通寺は、良寛修行の地でもあります。紅葉の盛りを過ぎ、冬の訪れを感じられる円通寺へ行ってみました。
安永8年(1779)、良寛22歳の時、国仙和尚に随行し、ここ円通寺で修行を始められます。良寛の住んでいたといわれる覚樹庵は、もうありません。
ですが、お寺にある良寛堂は、もともと修行する僧たちの寝起きする衆寮であり、良寛の修行時代を思わせてくれる建物といえます。
修行時代「円通寺」をタイトルにした漢詩があります。
円通寺に来りてより
幾度か冬春を経たる
衣垢づけばいささか自ら濯ひ
食尽くれば城闉に出づ
門前千家の邑
更に一人をも知らず
曾て高僧の伝を読むに
僧可は清貧を可とせり
厳しい修行時代が想像できそうです。国仙和尚は修行を積む良寛を、どのように見ていらっしゃたのでしょうか。国仙和尚から「印可の偈」(修行の修了証)を授けられるのは、良寛33歳の時でした。
また良寛と共に、国仙和尚から印可の偈を授けられた義提尼の庵(真如院)は、西爽亭(国の登録有形文化財)の裏手にあります。
良寛は国仙和尚を大変尊敬されていたようです。国仙和尚のお寺としてよく知られている長連寺にも、足をのばされたかもしれません。長連寺は倉敷市美観地区のすぐそばにあり、国仙和尚のお墓があります。国仙和尚がお亡くなりになるのは、良寛に印可を授けた翌年のことでした。
良寛は円通寺を出ます。寛政6年(1794)放浪中の良寛に土佐で会った、という記録が残されています。その書物「寝覚めの友」作者、近藤万丈は円通寺の入口にある玉島仲買町の出身でした。
良寛修行の地、円通寺では、春は桜、夏はホトトギス、秋は紅葉を楽しめます。そして今、冬の清澄な空気に包まれながら、良寛の若き日に思いを馳せることができます。
是非、玉島にお立ち寄りください。