倉敷生活デザイン展 「ジーンズ以前」
玉島市民交流センター美術展示室で、8月23日から31日まで、尾道・福山・井原を含む備前・備中・備後(三備地区)の幕末・明治から現代までの、織物産業の変遷をたどる展覧会「倉敷生活デザイン展 ジーンズ以前」が開かれました。
第5回となる今回は、倉敷芸術大学の鈴木まどか教授が企画し、三備地区の地元企業を中心に約20社から提供していただいた、約230点の織物製品や資料などが展示されました。
展示されている、縞織の「備中の縞帳」と、「備前の小倉帯見本帳」からは、18世紀以降、この地方の高度な技術伝承の状況が分かります。
明治10年代、明治政府の殖産興業政策により広大な綿作地帯を持つ岡山県内に、玉島紡績所・下村紡績所・倉敷紡績所(三紡績所)が開業されました。
三角帆に始まり、明治政府によって積極的な近代的機械紡績業の技術移転がなされました。備前・児島の細幅織物や、備中・井原、備後地方の小幅織物が栄えたのち、
由加土産の小倉帯・真田紐 →韓国人の夫人紐 →中国への腿帯子(たいたいず)→輸出向けランプ芯・コンロ芯 →機械用・軍需用テープ →畳縁の生産へと移り変わっていきました。
綿業界は、第二次世界大戦後、1950年の特需により軌道に乗り、さらに合成繊維の工業化に向かいました。綿に似た性質を持つビニロンは帆布業界に登場し、登山用リュックやテントに使われました。
20世紀後半、第2の木綿ブームの到来です。
純綿製帆布バッグ・鞄が瀬戸内各地で製造されるようになりました。また、労働着であったジーンズがファッション性の高い衣料として市民権を獲得し現在に至ります。
今回の展示会には、期間中多くの見学者が訪れ、織物の歴史や文化に触れ、ジーンズに至るまでの変遷をたどっていました。
郷土を代表する産業のひとつとして、綿製品がますます進化し愛され続けてほしいものですね。