取り壊される玉島の「港水門」
映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地となった倉敷市玉島の「港水門」が河川改修に伴い壊される事になりました。
「港水門」は、溜川の河口に昭和23年に高潮対策の一環として、岡山県により建設されました。
平成15年1月25日に、ここで第一作目の映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケがおこなわれました。東京の高円寺の水門という設定で、一平(小清水一輝)と淳之介(須加健太)が、淳之介の母、和子(奥貫薫)に会いに行った帰り、都電に乗るお金が無くて、水門の橋の欄干にこしかけて泣きべそをかくシーンが撮影されました。
この日は本当に寒い日でしたが、何時間もかけて撮影されました。クレーンで雨を降らしたり、照明の灯がとてもまばゆかった事を、今も覚えています。
8月26日、長年玉島のシンボルの一つとして親しまれた「港水門」との「お別れの会」が行われました。催し物を企画した「玉島みなと若旦那会」の別所美治会長は「この町を水害から守り、農業用水の確保にも役立ってくれた。子供の頃から見ているので愛着がある。しかし、壊されることを嘆くのではなく、未来を考えたい。今後は、この「港水門」のことを風化させないよう子供達に伝えていきたい」。また、同会の事務局の猪木直樹さんは「壊される事は忍びないが、治水対策の見地から地元の人達の安全安心を優先したい。前向きに歴史を考えたい」と述べられました。
「港水門」から南に約1.5キロのところにある柏島と乙島を結ぶ玉島大橋(通称「源平大橋」)の海峡では、1183年に、源氏と平氏が海戦を行い、源氏に連敗していた平氏が、金環日食が起きることを予知し、ようやく勝利を収めたという源平水島合戦がありました。
また、備中松山藩藩主水谷勝隆公が、江戸時代に玉島の干拓を行い、今の「港水門」のところに水門を築きました。以後、玉島は港町として栄えました。
柏島と乙島の間の海峡。
遠くに見える玉島大橋(写真中央)付近で源平水島合戦が行われた。
「港水門』周辺には当時の繁栄ぶりを示す古い町並みが今も残っています。町並み保存地区に指定されている、仲買町、新町、旧柚木家住宅周辺の町並み。昭和レトロな通町商店街、水郷の雰囲気のある溜川風景。
「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地は他にもあります。通町商店街脇の空き地、天満町でもロケがありました。
この機会に、ロケ地巡りも兼ねて玉島の町並みを楽しんではみてはいかがですか。