~足高の神が見守ってきた倉敷のまち~足高山と倉敷の歴史 by ひやさい2011
倉敷体験プログラム「ひやさい2011」が10/8(土)~10月23日(日)まで行われています。10月10日(月)午後からの「足高山と倉敷市の歴史」に参加しました。
足高山は倉敷市笹沖にあり、昔は瀬戸内海に浮かぶ小島でした。
足高山周辺は船の航路でもあり、通る船はすべて帆を下げ、足高の神に航海の安全を祈願したことから「帆下げの宮」とも呼ばれております。
時代と共に干拓され陸続きへと発展し、倉敷の街を見守り続けた足高山を散策しながら歴史に触れてみました。
(井上勝子さん)
日本で一番古い(927年編纂)神社記録である延喜式「神名帳」に足高神社は書かれており、備中18社の1に数える最古社であります。
千年以上の歴史があるということは真実であり、誇りに思っています。
千年の間、神様を奉り続けてくださった方がここにいらっしゃったということ、神様だけがいるのではない・・・と語られました。
海が陸になっていろいろと変性があろうとも、長い間、奉り続けてくださった方の思いをしっかりと受け止めてお務めしなければという思いでお務めております。
昔の建物は神の社はありません。
神社建築は後に出来た建物。この笹島にどういう形で神様を奉っていたか、岩境とか岩座といわれ、大きな石に神様がおりて頂いてお祭りするのが岩境(いわさか)。
神様を囲ってお祭りするのが岩座(いわくら)。
岩境・岩座を持っている神社は神社建築以前のこと、岩境・岩座を作ったのは人間、足高山にもそれはあります。
岩境・岩座を持つ神社はそれ自体が歴史・・・とお話がありました。
足高山は450年前は海中に浮かぶ一孤島であり万葉集に笹島などとよまれ、東西航行の雲路であった潮流が激しく鳴門の如く渦が巻いていたと言われており、通る船は全て帆を下げて山上の神に航海安全を祈願し灘を逃れたと伝承されている。
当時の姿を後世に残す為、この度、紫雲画伯に依頼し神社に奉納する。昭和戌辰六十三年
(鬼ノ城)
岩境・岩座(いわさか・いわくら)のお話から総社にある鬼ノ城には「岩屋」という巨大な岩があるそうです。是非、「岩屋」まで行ってみてくださいとのことです。
そこには「親魏倭王」があり、もし存在すれば邪馬台国が位置したかもという仮説が成り立つかもしれません・・・とも語られました。
(※仮説と下記の写真は関係ありません)
すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く。城壁によって囲まれた面積は約30ヘクタールを測る。城壁の要所に、門、城外への排水機能を持つ水門を配する。門は東西南北4ヶ所、水門は6か所に確認されている。城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、鍜治場、工事のための土取り跡などが確認されている。(資料より)
(2010・9・8撮影)
飛鳥時代
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。日本書紀などには西日本の要所に大野城など12の古代山城(朝鮮式山城)を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。しかしどの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石系山城と呼ばれる。(資料より)
温羅伝説
温羅伝説とは、吉備地方に残る、桃太郎話のモチーフとなったといわれる伝説である。
古代吉備地方には百済の王子と称する温羅(「うら」または「おんら」)という鬼が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配し悪行を行っていた。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく崇神天皇は孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。温羅に対して矢を1本ずつ射たが岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。温羅が雉に化けて逃げたので命は鷹に化けて追った。更に温羅は鯉に身を変えて逃げたので吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。こうして温羅を討ったという。それぞれの伝説の地に矢喰神社、温羅の眼の血が流れた血吸川、鯉喰神社が存在している。
温羅は製鉄技術をもたらし吉備を治めた技術者であり豪族ではないかとされる。また、血吸川の川の赤さは鉄分によるものであろう。吉備地方は古くから鉄の産地として知られ「真金吹く吉備」と呼ばれていた。実際、鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡が存在する。
なお、この伝承はその後、鳴釜神事の成り立ちへと続く。(資料より)
約2時間という足高山歴史ウォークでしたが古代文明邪馬台国のお話まで伺え、歴史ロマンに満ちた「ひやさい」体験となりました。
まだまだ倉敷体験プログラムは続きます。倉敷の文化、歴史、人の温もりを体感できるプログラムです。