小堀遠州作庭 宝島寺
小堀遠州が父の後を受けて備中松山城主なっなったのは慶長9年、その後備中各地を巡回していました。宝島寺のある連島にも陣屋があり、住職と話をする為によく訪ねて来ていたそうです。
小堀遠州についてはこちらをご覧下さい
小堀政一 -Wikipedia
この階段は、高貴なお方が訪ねて来られた時、お籠を担いだまま上がれる為に広く階段が造られたそうです。小堀遠州もこの階段を使用したのでしょう。
当時の住職と話がよく合い、たびたび訪れてこられ、その当時に小堀遠州の指示の基に造られた庭だそうです。
山から川になり、海に注ぐと云うことを現わしているそうです。
宝島寺から南は家や水島工業地帯の工場が建っていますが、小堀遠州の時代は海でした。船は山門のすぐ近くに着いていいました。
茶室の前の庭です。伺った時は住職をはじめ皆さんで手入れをされていました。後世に伝える為に大切にされていると思いました。
高梁市にある頼久寺です。小堀遠州が頼久寺を仮の居館としていた時、住職との親交もあって作庭したのがこの庭園です。
備中足守の近水園は小堀遠州風の庭と云われています。
とても趣きのある庭園のように思いました。さつきが満開で見応えがありました。広い庭園なのに、掃除が行き届いていました。
近水園古図の一部です。
ボランティアの備中足守竹取物語の皆様がお掃除をしていました。
滝まで流れていた近水園古図の頃のように、復活できるようみんなで山掃除をされていました。
近水園古図の頃に戻るのを楽しみにしています。
小堀遠州の関係する庭園を廻って見て、どちらの庭園も後世に引き継がれるよう弛まぬ努力をされている事に感動しました。
是非皆様も機会があれば、一度立ち寄ってみてください。
関連リンク
頼久寺
近水園
小堀政一 -Wikipedia
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