楯築遺跡と重森三玲氏
楯築神社がある楯築遺跡を毎月掃除されている氏子の方に 「楯築遺跡に作庭家・庭園史家の重森三玲さんが良く来られていました」と話をお聞きしました。
話を一緒に聞いたのは「造山古墳蘇生会」のメンバーの人達で「造山古墳」を中心に、楯築遺跡や古代吉備の説明をされているボランティアの方々です。
毎週土日と小学生等が見学に来た時などにも案内をしているそうです。
重森三玲氏が昭和49年に出版された「日本庭園歴覧辞典」に楯築遺跡の当時の写真と説明があります。
説明の最後の所に、
「このような石組は庭園ではまったくないが、後世の庭園石組に対する源流となるものであって庭園源流考の意味で、これを本書に加えた次第であるが、日本民俗は、上代においてこのような石を組むことを発見し、石を神格化することを自識したことは大変なことである。そうした意識は日本民族の血の中に流れてきたから、今日の庭園石組の中にも、神のことを完全に忘れながらも、何か民族意識のなかに秘蔵される特殊なものがあることを注意すべきである」
と記載されています。
吉備中央町にある「重森三玲記念館」の石庭です。
庭園の後ろに見える竹垣には茶室があり、そのさらに後ろの木々は、重森三玲氏と特に縁の深い吉川八幡宮の境内の木です。
「天籟庵(てんらいあん)」は重森三玲氏が18歳の時、生家内に設計し、お父さんが大工と共に建立をした茶室です。
茶室は18歳で、茶室の前の庭は73歳で造り、掃除がしやすいようにとセメントで造ったそうです。
東福寺、岸和田城の八陣の庭、石像寺の庭などの写真が展示されています。
「友琳の庭」は京都の誂友禅工業協同組合の依頼を受け、同組合所有する「友琳会館」に作られました。
「友琳会館」の改築で、重森三玲氏の誕生地の吉備中央町に2002年に移築、復元しました。
吉備中央町賀陽庁舎の中庭にあります。池の中の石が透けて見えます、北側の庭は枯山水です。
楯築遺跡から造山古墳へ向かう途中に、楯築遺跡を写しました。重森三玲氏が訪れた楯築遺跡や吉備路などにも足を運んでみてください。
関連リンク
造山蘇生会HP
重森三玲記念館(吉備中央町)
重森三玲庭園美術館
重森三玲 – Wikipedia
楯築遺跡の地図はこちら