閘門式水門の説明会
3月の天気に恵まれた日、日本で一番古い閘門式水門の樋や高瀬通しの船溜まりなどの説明を聞きました。説明は新見市の田仲満雄先生と林肇先生です。新見市から1時間以上かけて何回も調べに来られ、その結果を地元の人や高瀬通しに関心のある人に説明されました。中には親子で聞かれてる方もいましたが子供にとっては少し難しかったかな?
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パナマ運河より240年前の水門
一の口水門から二の口水門
高梁川側に降り、今は柳井原湖の排水路になっている所に行き、高瀬通しに入る時の船溜まりの跡の説明を聞きました。そこには石垣や竹やぶのあたりには砂止めも残っています。
排水路樋門です。3つあり真ん中は両側に樋溝があります。泥の下には樋門と同じように石が組まれ深さ5cm程の樋門を受ける溝があります。ゴミや枯れた葦は取り除けますが泥は人の手ではなかなか取り除けません。
一の口水門の下流側の樋門の樋溝です。樋門は高さ8m巾2.5mあります。樋溝の石柱を支えている石垣は、水平に積み上げられています。ここの樋溝は二本の溝が彫られていますが上端から下端まで彫られているのは下流側の樋溝です。上流側は上端から途中までしか彫られていません。下端から3.6mのところまでです。この点から下端までは、下流側の樋溝のみです。洪水の時、水の圧力を軽減するのに有効です。水谷公の治水技術が土手と共に樋門にも生かされていたと考えられます。「高瀬通しを歩く」田仲満雄著より
一の口水門から500mの所にある「水江の渡し」に行き、渡し舟に乗りました。川面を渡る風を感じたり高梁川の両側の芽を吹き出した柳の木を眺めました。