高橋選手の故郷
いよいよ高橋選手のフリーの演技が始まるというので、
彼の故郷の近くの連島公民館に行ってきました。
SPで90.25という高得点を出しながら、0.05の差で、
3位になった高橋選手。
どうしてもヘルスピア倉敷を真向かいの山の上に臨む、
地元の公民館で地元の方たちと一緒に応援したいと思ったのでした。
12時に集合と決められた公民館には、たくさんの鉢巻きが用意されていました。
テレビではすでにフリーの各選手の演技が始まっていました。
テレビのそばには、平日で応援に参加できない子供たちの寄せ書きがたくさん書かれた日の丸が貼ってありました。
時間とともに高橋選手を応援する人々が、続々と集まってきました。お世話係の人はパイプ椅子を何度も何度も、
物置や二階に取りに行っていらっしゃいました。
最終的には200人近く集まったのではないかと思います。
メダルを取ったら目を描くよう、お母さんから、だるまさんが届けられたそうです。
子供さんもお母さんにつれられて、応援に駆けつけました。
報道陣もズラリ。
RSKのよく見る顔のアナウンサーさんも来ていらっしゃいました。
お話は取材のプロのアナウンサーさん、カメラマンさんにお任せして、私は隅っこで、民謡の着物を着た、年配の方のお話を聞くことにしました。
あべ重子さん
聞けば小学校の購買に勤めていた方だとか。
大輔選手を1年生から知っているとのことでした。
スケートを始めた彼は小学3年の時にすでにオリンピックに出ると言われていたと聞きます。
1年から6年まで、親しく大ちゃん大ちゃんと折に触れ、
「頑張って、オリンピックに行きや」と励まし続けられたとか。
またお母さんが冬場しか開場しない倉敷のスケート場から、
夏場は岡山まで車で送り迎えをされ、それはそれは協力されていたと、お聞きしました。
職場を離れて、民謡を習い、ボランティアで、老人施設を回っているとのことでした。
今日も出かける前のひととき、気になって応援に来たということでしたが、高橋選手が演技する前に、迎えの車が来たと言って、
出て行かれたのは、すこぶる残念なことでした。
後ろ髪を引かれるとは、まさにこのことかもしれません。
高橋選手のエピソードで、もう一つ印象に残ったお話は、中学3年間の時の彼の印象を当時の校長が、話されたことでした。
彼はテレビカメラが押し寄せるような活躍を中学時代ですでにされていたそうですが、校長先生は高橋選手が、ちっとも奢らず、
普通の大人しい生徒だったので、そんなに偉大とは思わなかったそうです。得意になりもせず、偉ぶりもせず、ひたすらスケートの練習に励んでいた彼の真摯な姿が彷彿とする、よいお話でした。
大輔選手の演技する時間が近づくにつれ、人はさらに増えていきました。
そしていよいよ彼の番。テレビに彼の姿が映し出されると、
拍手する人、がんばれーっと声をあげる人、祈るように両手を合わす人。さまざまな人が大画面に映った彼の姿を追っていま
した。
最初の4回転のジャンプに失敗すると、全館揺るがすような大きなため息が上がりました。
しかし立ち上がりの素早い動作に、誰もが拍手喝さいをし、そのあとの素晴らしい演技に我を忘れて陶酔しているようでした。
4回転の失敗は惜しいけれども、金メダルを取った人は4回転を回避したと聞きます。
銀メダルになった人は演技力では大輔選手のほうが優ったと結果に出ていました。
としたら、金は高橋大輔選手のものであってもおかしくないのだと思いました。1年前の大怪我から見事に復帰して、堂々3位のこのメダルは、本当に色に関係ないと思いました。
銅は金と同じと書く、とKCTのアナウンサーが、笑わせていましたが、本当にそうだと思います。
たくさんの感動と、夢を日本中に与えてくれた高橋選手に惜しみない拍手を送りたいと思ったのでした。
高橋選手、本当におめでとうございます。