水郷の町、備中玉島の主要水門めぐり
玉島は干拓の町ですので、水路と水門が多くあります。
玉島は水谷さんにより1600年代に干拓された町ですので、水路が多く残ります。
また、干拓でできた玉島湊も備中綿をはじめとした交易で栄えました。
多くの文人墨客も玉島で活躍しました。
写真は図書館前からの溜川風景です。
自転車で水門めぐり、写真撮影などに良い場所です。
四土井水門
四土井水門は昭和11年に造られています。
手前に沈下橋があるので、上流からの水を一定量ためておくことと
下流からの塩分が入ってきたときの堰き止めのためではないでしょうか。
写真撮影は、大正橋から夕景が逆光になり良いポジションです。
こんな機械で水門を開けました。


志んばし水門
昭和17年にできた水門です。
戦争の最中によくこれだけの水門ができたものです。
上流ではかなりの耕作されていたのでしょうか
美しい姿は写真撮影の素材にぴったりです。
此方から、タイトルの溜川風景やドラム缶橋などを見ることができます。
港橋水門
港橋水門水は昭和23年、終戦後にできています。お祭りにはこの水門の上には人がいっぱいいたもんです。
映画「3丁目の夕日」のロケにも使われました。
今は水門の役目を果たしていませんが、昭和ロマンというか、懐かしい風景です。
右端が港橋水門、左端が溜川排水機場です。
港橋水門はもうすぐ解体され、なくなるようです。
180度のパノラマ写真をご覧ください。
唐樋樋門
金光、四土井のほうから流れてくる、里見川に設けられた唐樋樋門です。
昭和55年に完成しています。
新昭和橋水門と旧昭和橋水門
昭和50年に完成した水門で、海水と里見川の水をせき止めています。
旧水門は昭和7年に完成し活躍しましたが、今はありません。水門を揚げる時に大きな音を立てていました。
阿賀崎新田用水水門
高梁川から高瀬通しをとおり、玉島新田、阿賀崎新田まで農業用水が流れています。この水門は羽黒神社の方に流れる水を、途中で水量を調整し四土井方面に農業用水を約3kmにわたり送りました。
里見川では水量が多くなると水面下に沈む沈下橋もあります。