備中玉島円通寺の良寛さん詩歌碑めぐり
良寛詩歌碑
良寛さんは多くの詩歌を残しています。
若き日,良寛さんが修行した寺,円通寺にも詩歌碑があります。頂上にある良寛さんの石像「童と良寛」は昭和41年玉島ライオンズクラブ10周年記念事業で寄付されたもので、重要無形文化財保持者平田郷陽氏原型で土台は船形に作られています。子供たちと遊んでいる良寛さんがほほえましいですね。
コースに沿ってご案内します。
うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ
平成元年、全国良寛会・近藤敬四郎書、良寛辞世の句
文政10年(1827)良寛さんと貞心尼の交際が
始まります。良寛さん70歳、貞心尼30歳。
天保元年、良寛さんの病状は悪化する。良寛様は貞心尼に次のように呼びかけます。
「あずさゆみ はるになりなば くさのいほを とく出て来ませ あいたきものを」
貞心尼はすぐさま看病にかけつけます。12月ごろにはますます病状は悪化します。
「いついつと 待ちにし人は 来たりけり 今はあひ見て 何か思はむ」
「いきしにの さかいはなれてすむみにも さらぬ別れのあるぞかなしき」
それに対し良寛さまは、辞世の句となった、次の1句を詠む
「うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ」
天保2年正月6日 74歳 示寂
(資料・多くの書籍を参考にさせていただきました)
夢中問答
乞食入市廛 道逢旧識翁
問我師胡為 住彼白雲峰
我道子胡為 占此紅塵中
欲答両不答 夢破五更鐘
食を乞うて市廛に入り
道に旧識の翁に逢う
我に問う「師なんすれぞ
彼の白雲峰に住むやと」
我は言う「子 なんすれぞ
この紅塵の中を占むるやと」
答えんと欲すれど両ながら答えず
夢は破る 五更の鐘
憶在円通時
憶在円通時 恒歎吾道孤
運柴懐?公 踏碓思老慮
入室非敢後 朝参常先徒
一自徒散席 悠々三十年
山海隔中州 消息無人伝
感恩終有涙 寄之水悠々
思い起こす。若い時、備中玉島の円通寺にいた頃には、自分の修行も
まだ徹底せず、常に孤独を嘆いたものである。柴を運ぶときは?居士
のことを思い出し、臼を踏むときは老慮を想い自分を励ました。
国仙和尚に道を問うのは人後に落ちなかったし、参禅にはいつも他の弟子に
先んじた。円通寺を去り越後に帰り三十年になる。海山隔てた今は
円通寺の様子を誰も伝えてくれない。国仙和尚の恩を思うと涙があふれ
出てとまらない。悠々と流れる大河もかくやと思われる
円通寺
自來円通寺 不知幾春冬
門前千家邑 更不知一人
衣垢手自洗 食尽出城?
曽読高僧伝 僧可可清貧
円通寺に来たりてより 幾春冬なるかを知らず
門前千家の邑 更に一人を知らず
衣垢づけば手ずから洗い 食尽きれば城?へ出ず
かって高僧伝を読む 僧はよろしく清貧なるべし
時息
擔薪下翠岑 薪を担いて翠岑を下る
翠岑路不平 翠岑の路は平かならず
時息長松下 時に息う長松の下
靜聞春禽聲 静かに聞く春禽の声
翠岑(すいしん) みどりの山八合目
かたみとて
かたみとて なにかのこさむ はるははな
なつほととぎす あきはもみじば
アクセス
自動車でおいでの方は、略図のとおりR429から南下します。駐車場は市営、円通寺の駐車場があります。円通寺駐車場のほうが円通寺に近く(略図参照)にあり、こちらからは、玉島市街地が一望できます。
電車でおいでの方は、バス乗り換えまたはタクシーが便利です。
ご案内・ガイド
円通寺をご案内するボランテイアガイドもあります。
バスの場合は1台につき2000円ですが、それ以外は無料で行います。予約が必要ですので、NPO法人 備中玉島観光ガイド協会へご相談ください。
Tel 080-1935-3425担当長森が承ります。