金田一耕助の来た村・真備町を歩く
※金田一耕助関連イベント開催! 「巡・金田一耕助の小径(平成21年10月1日~11月30日)」
<雪の降る深夜、婚礼をあげ初夜を迎えたばかりの新郎新婦が血まみれになって倒れ、雪の庭に血のついた日本刀が突き刺さっていた。>
日本家屋での密室殺人を描き、名探偵金田一耕助をはじめて登場させた小説【本陣殺人事件】は、作者横溝正史が倉敷市真備町岡田に疎開してきたころ、本陣という地方の旧家を舞台に書かれました。今も岡田に残されている横溝一家の疎開宅を訪ね、横溝が散策した道などを歩いてみました。
旧岡田村
倉敷市真備町岡田にある横溝正史の疎開宅は、岡山県西部を走る井原鉄道の川辺宿駅から車で3、4分、歩いても3キロあまりの距離です。
当時、井原鉄道はありませんでしたから、事件発生で呼び寄せられた金田一耕助は伯備線清音駅で下車して歩いて真備町の旧岡田村に入ったんですね。
金田一耕助の登場
「この道をひとりの青年が歩いてきた」。
【本陣殺人事件】に名探偵金田一耕助が登場するシーンです。「この道」というのは、旧岡田村の集落に至る田んぼの中の田舎道です。金田一耕助がやってきた集落の入り口には今でも老舗の酒店があります。
横溝は散歩がてらこの店によくやってきたといい、酒を注文していったそうです。
酒店から南に延びる街道は旧岡田村のメインストリートで、すぐ近くには当時の村役場もありました。
小説では<役場の真向かいに一膳めし屋があった>などと書かれていて、金田一耕助も、事件の謎を追ってこのあたりを訪ね歩いたようです。
こいちゃのばあさん
三叉路から横溝の疎開宅まではわずか、狭い通りを歩いて行くと田畑がひらけ、道が交差するところに小さな祠(ほこら)があります。
この祠こそ、地元で祀っている「こいちゃのばあさん」で、横溝は「こいちゃのばあさん」のいわれを村人から聞いて、小説【八つ墓村】で「たたりじゃあ」という異様な姿の「濃茶の尼」を登場させました。
「こいちゃのばあさん」は今でも親しまれていて、祠の花生けに花が切れたことがないそうです。
横溝正史疎開宅
「こいちゃのばあさん」の祠から向こうは緩やかな坂になっていて、突き当たりが<横溝正史疎開宅>です。白い壁の瓦塀を巡らせた立派な構えの屋敷です。
横溝正史だけでなく金田一耕助の門札がかかっているのも面白い、と思いながら中に入ると、部屋は3つ4つ。
横溝の着物や机などがあるほか土間に一家の写真などが展示してあって、一番奥の部屋に入ると突然、障子に人のシルエットが浮かび上がります。
さて、この人はだれか。いわずと知れた名探偵金田一耕助。
着物に袴、破れ帽子のシルエットでした。
村人との交流
東京から疎開してきた横溝一家は、ここで昭和20年から3年半の間過ごします。
横溝はなれない畑仕事をしながら地元の人たちとうちとけ、時おり酒を酌み交わしては、昔話を聞いて小説のネタにしたといいます。
今でも旧岡田村の人たちが交代で<横溝正史疎開宅>を守っていて、岡田時代の横溝の数々のエピソードが聞けるということです。
トリックを考えた岡田大池
<横溝正史疎開宅>訪問の帰りには、<岡田大池>あたりを歩いてみるのも楽しい。
<岡田大池>は疎開宅の目と鼻の先、横溝が小説にいき詰まるとよく散歩していたところで、横溝は伸びた髪をかきむしりながら、ぶつぶつと独り言をいいながら歩いていたといいます。
トリックのつじつまでも考えていたのでしょうか。【本陣殺人事件】は、凶器の日本刀と琴を結びつけるトリックが高く評価され、日本初の本格推理小説といわれました。その原点が旧岡田村にあったんですね。
真備ふるさと歴史館
ところで、旧岡田村はかって岡田藩が陣屋を構えたところで、明治以降、陣屋跡は地元の小学校になりました。
その陣屋跡の西隣に<真備ふるさと歴史館>があります。
ここには「横溝正史コーナー」があって、自筆原稿や横溝の書いた小説本、それに復元された書斎などを見ることができます。
<真備ふるさと歴史館>とさきほどの<岡田大池>は隣り合わせになっていて、大池散策のついでに歴史館によってもよし、いずれにしても旧岡田村一帯は横溝・金田一耕助の世界を見て聞いて一日中楽しく遊べるところです。