倉敷エリアの町並み

往時の繁栄を伝える落ち着いた町並み

白壁土蔵のなまこ壁に、軒を連ねる格子窓の町家。そして川面に映る柳並木……。 倉敷川沿いには情緒豊かな町並みが形作られています。 「大原家住宅」や「有隣荘」といったかつての邸宅、江戸・明治時代に作られた土蔵を改装して開館した「倉敷民藝館」や「倉敷考古館」など、伝統的な建物が並ぶさまは、往時のにぎわいを感じさせます。また、「大原美術館」や「倉敷館」のような洋風建築物がうまく溶け込んでいる様子もこの界隈の特徴の一つです。 昔ながらの町家はギャラリーや喫茶店、土産物店など個性的な店舗に修復・再生され、「和」と「洋」「レトロ」と「モダン」が絶妙に融合し、独特な落ち着きを見せています。住む人の息づかいも聞こえてくる、現在を生きる町並みです。倉敷のシンボルにとどまらず、瀬戸内を代表する観光資源といえるでしょう。

昔日の繁栄がしのばれる天領の町

温暖な気候と高梁川のもたらす豊かな土地に恵まれた町、倉敷。古来より交通の要衝であり、高梁川の支流・倉敷川は運河として利用され、その河港には多くの商人が集まり、蔵が建ち、やがて備中地方の物資が集積する商業の中心となりました。 江戸時代には幕府直轄地「天領」になり、大規模な新田開発でさらに発展し、現在へと続く町の原型が形成されていきました。 明治時代以降に水運業が衰退した後も、大原孝四郎・孫三郎をはじめとする倉敷商人の活躍で経済は回復し、引き続き町は整備されていきました。 現在の倉敷市の市街地中心部で往時をしのばせるのが、倉敷川畔の「美観地区」や鶴形山南麓から東西にのびる「本町・東町」といった美しい町並みです。JR倉敷駅から南へ徒歩約10分にあるこのエリアは、倉敷観光の中心となっています。 一方、デパートや商店街は倉敷駅南口周辺の徒歩5分圏内に集中。駅から美観地区にかけての通り沿いにある商店街には飲食店や商店が立ち並び、庶民的な味わいを醸し出しています。
観龍寺から見下ろす甍

静かな時間の流れとともに暮らしが息づく町

多くの観光客で賑わう美観地区の倉敷川沿いから、やや北に路地を入ると、それほど観光地化されていない、落ち着いた風情の通りへ抜けます。 ここ本町・東町通りは、美観地区とはひと味違う、ゆったりとした趣きが感じられる通りです。 鶴形山の南麓を東西に抜けるこの通りは、かつて倉敷から東の早島へと抜ける街道筋として商人が行き交い、職人たちが軒を連ね、倉敷川沿いよりも早くから町が形成され賑わった場所です。その大部分は町並み保存地区にありながら、今も約200世帯もの人々がこの界隈で日々の暮らしをおくっています。 昔ながらの倉敷格子の窓や白壁が連なり、住む人の暮らしが息づくこの通りを訪れたなら、静かで郷愁あふれるその佇まいにきっと惹かれるはず。また、このような家並みに溶け込むように、土蔵や町家を改装したカフェやギャラリー、居酒屋などが続々と誕生し、この界隈に新たな魅力を加え続けています。伝統を大切にしながら新しいものも生み出す、倉敷らしい通りといえるでしょう。
古い造り酒屋の看板

児島エリアの町並み

下津井の町並み

児島半島の南端にあり、”風待ち、潮待ち” の良港として知られる下津井。江戸中期から明治にかけて北前船の寄港地として発展しました。 漆喰壁に本瓦葺きの町家など、港町独特の風景は県の町並み保存地区に選定されており、下津井沖の急潮で育ったタコなど、新鮮な海の幸が味わえるのも魅力です。
明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館。母屋など当時の商家の様子がうかがえるほか、下津井にまつわる資料の展示や、地元特産物の販売も。

玉島エリアの町並み

往時を偲ぶ、玉島の古き良き町並み

玉島エリアの干拓工事成功を祈願した羽黒神社の西側には、かつて問屋街として栄えた新町があります。 もともとこの町は備中松山藩による新田・干拓開発の要として築かれた長さ391メートルの潮止堤防でした。その南側に千石船が入港できる玉島港が開かれ、堤防上には問屋を営む商人が多数誘致され、備中綿の集散地として大変賑わったといわれています。 現在は、町並み保存地区になっており、当時の面影を残す白壁・格子窓の土蔵や商家が点在しています。
新町の町並み保存地区
仲買町の古い町並み
その新町筋から昭和橋を渡り、北にのびる界隈が仲買町。備中松山藩主水谷氏が玉島港を開いた折、仲買人たちが店を構えたのがはじまりといわれています。 主に商人や職人が暮らした町で、江戸時代後期創業の「玉島味噌醤油」をはじめ、江戸時代末期の歌人で国学者でもある近藤萬丈の生家「菊池酒造」のほか、紙屋、畳屋、建具屋など、江戸時代から今も続く、ものづくりや商いの風景を体感できる街です。

Copyright © Kurashiki City All Rights Reserved.